「黄色」を定義することはできない。 「550から580nmの波長の電磁波が視覚細胞に入射したときに私たちが感じる色を黄色と言う。」これは定義になっているだろうか。生まれたときから目の見えない人に、こう説明しても「黄色」を理解しないだろう。ただ、「黄色」という言葉の使い方を理解するだけだ。日本語を知らないアメリカ人に、英語表現で説明しても、物理学や色彩に関して知識ある人でないかぎり、これを理解できない。理解したとしても、「イエロー」を知っているから理解できるのであり、問題が「黄色」から「イエロー」へと移り変わるだけだ。他のどのような定義も上手くいかない。「黄色」は定義できない。 こんなことを論じてなんの役に立つのだと訝しく思う人がいるだろう。バートランド・ラッセルやカール・ポパーがそうだった。彼らからみると、ウィトゲンシュタインはこんな役に立たないことばかりを論じていると思われた。ウィトゲンシュタインは、「哲学にはまともな問題などない。哲学とは言葉の使用の実相を理解していないために生じる混乱した思考でしかない。哲学の課題とは、言葉の使用を注意深く観察して、言葉の使用の誤解に基づく思考の混乱を正すことだ。」と断言する。ポパーとラッセルはこれに激怒する。社会の問題、人生の問題など、哲学が取り組むべき重大な課題がある。言葉の使用を細々と分析して何になるのだ、哲学は言葉の分析を超えたもっと重要な問題と取り組む。これがラッセルとポパーの見解だった。 ウィトゲンシュタインを専らこんな瑣末な問題に関わるばかりで、人生の問題、社会の問題に無関心な人間だったと勘違いしてはならない。第一次世界大戦のとき、ウィトゲンシュタイン家の膨大な財産と社会的影響力を行使すれば、兵役を容易に免れることができるにも拘わらず、ウィトゲンシュタインは志願して戦場に出かけ危険な任務を遂行した。戦後捕虜にもなっている。第二次大戦中は、イギリスの病院で勤労奉仕をしている。どうしようもないエゴイストで傲慢な人間だったが、ウィトゲンシュタインほど人生の問題と真摯に取り組み、苦悩した人は少ない。ウィトゲンシュタインは決して象牙の塔で自己満足に浸るような人間ではなかった。 ウィトゲンシュタインは、ただ、人生の問題や社会の問題は哲学的に論じることを拒否しただけだ。「人生や社会の問題を哲学的に語ることは不可能」これがウィトゲンシュタインの診断だ。ウィトゲンシュタインはこのことを繰り返し、学生や哲学者たちに説いた。だが、ラッセルやポパーは頑として、同意することを拒んだ。 マルクスは、理論的にも、実践的にも、ウィトゲンシュタインとは対極にある思想家だが、やはり、社会の問題や人生の問題を哲学の課題であると考えることを拒絶する。マルクスは、哲学はヘーゲルで終わったと宣言する。そして、哲学を捨てて、革命という実践と自然科学のように精密で客観的な科学としての経済学・歴史学を確立しようと試みた。そして、二つとも失敗に終わった。マルクスを神のごとく崇める政権が20世紀になると多数登場したが、ほとんどが独裁国家であり、20世紀の終りまでに崩壊するか、中国のように共産主義の原則を棚上げして市場経済へと転回することで辛うじて生き延びた。 ウィトゲンシュタインは、哲学の内部に留まり、内部から哲学を一掃しようとした。そして失敗した。「私の人生は素晴らしかった。」これがウィトゲンシュタインの遺言だ。だが、ウィトゲンシュタインが満足して死んだとは思えない。 マルクスが20世紀に生きていたら、ラッセルやポパーを「頭の中で社会の改造ができると空想する観念論者、ブルジョアイデオローグ」と判定しただろう。一方、ウィトゲンシュタインは「貴族的・反動的な人物であるが、ブルジョアイデオロギーを解体するために重要な仕事をした」と評価するだろう。イギリスのマルクス主義者テリー・イーグルトンはウィトゲンシュタインの仕事を高く評価している。 マルクスやウィトゲンシュタインが正しいのか。それとも、ポパーやラッセルが正しいのだろうか。 ポパーは、主著「開かれた社会とその敵たち」で、プラトンとヘーゲルを中心に、その同類とみなされるウィトゲンシュタインやマルクスを批判的に吟味して、彼らの思想は独裁と抑圧へと道を開く独断主義であると断じた。ポパーは、独断主義に対して、常に自分の考えに誤りがあるかもしれないと反省をしながら、一歩一歩前進していく批判的合理主義を提唱する。批判主義的合理主義に立脚してこそ自由で開かれた世界が実現するというのがポパーの結論である。ポパーの議論は説得力があり、ラッセルを始め多くの人から賞賛された。それが民主制と人権を擁護する思想であることは事実だ。だが、ポパーの考え自身が、ポパーが批判している独断的な思想のうえで展開されていることに、ポパーは気が付いていない。ポパーは、彼自身が帰属している社会的諸関係の総体(マルクス)あるいは言語ゲーム(ウィトゲンシュタイン)に拘束されている。言葉は強い。ポパーは言葉を自由に操っているつもりでいるが、逆に、ポパーが言葉に操られている。ポパーの主著は賞賛されたが、それが民主制や人権思想の普及・拡大に寄与したとはいえない。民主制や人権思想が育まれていた地域で評価されただけだ。ミネルヴァの梟は日が暮れてから初めて飛びたつ。哲学者は、事件がおき、それが一段落した後に、下手な文章でそれを表現することができるだけだ。ポパーとて同じである。⇒(補足)参照 マルクスとウィトゲンシュタインは、類希なるカリスマ的思想家であったが、その一方で、非寛容で傲慢、冷酷な人間だった。マルクスが革命家としてのセンスに欠け、ウィトゲンシュタインが政治音痴だったことは幸いである。しかし、二人の思想家の直観は正しい。哲学にできることは、精々、哲学的言説が言葉の使用を理解しないことから生じる混乱した思考に過ぎないことを白日の下に晒し、それを解消することだけだ。 とはいえ、言葉なしでは私たちは思考できない。だから、言葉の前に躓くことを避けられない。私たちは永遠にウィトゲンシュタインであり続けなくてはならない。そして、ウィトゲンシュタインのように失敗し続けることになる。 (補足) 「開かれた社会とその敵たち」(1980年、K.ポパー著、内田他訳、未來社)などに述べられているポパーの思想とその限界を簡単に論じておこう。 ポパーが目指す社会とは次のようなものである。 『この社会に暮らす人々は、政治的・社会的あるいは学問上の様々な課題に対して、自分の見解を表明するとき、問題となっていることをよく調査研究して自分の意見を纏める。そして、それを人々の前に提示する。そのとき、自分の見解にどれほど自信を持っていようとも、自分の考えが間違っている、あるいは完全なものではないという可能性を必ず考慮に入れる。他の人がこの見解に対する異論を提示してきたら、それを拒むのではなく、反対者と、さらには第三者も交えて、極力偏見と先入観を排除した開かれた心で、共同で討議・研究を進める。そして、自分の見解が誤りであることが判明したら、直ちに自分が誤りであったことを認め自分の見解を撤回する。部分的にしか真でない、あるいは真であることを証明するためにはより詳細な研究が必要であることが判明したときには、再度詳細な検討をおこなう。このような過程を経て、社会的・政治的問題や学問の問題を一歩一歩解決していく。人々は自由に意見を述べることができるが、常に自分が間違いであることを考慮に入れる。批判者の意見には謙虚に耳を傾け、批判者と協力してよりよい見解を打ち立てるために努力する。こういう考え方・行動の指針が批判的合理主義であり、批判的合理主義の考えが確立され実践されている社会が開かれた社会である。』 ポパーの考えに共感する人は少なくないだろう。これこそが、民主的な社会のあるべき姿だと感じる人もいるだろう。私自身、ポパーのこの見解に異議を唱えるつもりはない。 しかし、ポパーが、このような思想を発明したのではない。ヨーロッパやアメリカ、ポパーの亡命先であったニュージーランドでは、こういう考え方は人々の理想としてすでに存在していた。ポパーはそれに哲学的な基礎を与えただけだ。 ポパーが提示した理念それ自体は、否定しようのないほど立派なものにみえるかもしれない。しかし、この理念には、貧困層からの搾取を是認する野放図な市場原理、西洋中心主義など抑圧的で排他的な思想体系と分かちがたく結び付いている。ポパーの理念は抑圧的・排他的な思想から自律しているわけではない。ポパーの理念は、暗黙のうちにポパーそのひとの考えと行動を規定している抑圧的で排他的な思想体系に影響を受けている。ポパーはそのことに気が付いていない。 ポパーは、「批判に対して謙虚に耳を傾ける、誤りの可能性を認め、誤りから学ぶ」と論じているけれど、ポパーのこの定式そのものが誤りである可能性を認めることはできない。それを認めることは、論理矛盾になる。このような異論は、単なる言葉遊びではない。私たちの社会が言葉を使用してコミュニケーションすることで成立しているという根源的な事実から必然的に生じる事実なのである。それは、現象的には、どんなに善良で心の広い人々の集まりでも、完全に自由・対等・公平な討議が実現されることはない、ということに示される。ウィトゲンシュタインが論じている言葉の基底にある硬い岩盤がそれを拒むのである。 マルクスは資本論など主著でそのことを明確に示している。ウィトゲンシュタインは、このような問題を明確に論じてはいないが、言葉の持つ魔力と闘う過程においてそれを人々に教えている。 ただし、ポパーやラッセル、あるいはハーバーマスの考えがすべて間違いであるとか、無意味であるということではない。彼らの理念は重要なものである。現実に実現不可能だからと言って、討議を極力自由で公平なものにしようと努めることが無意義であるということにはならない。そのような努力を通じて、社会を改善していくことができる。ただ、そこには限界があること、理念にはその反対物が付き纏うこと、それを忘れてはならない。それを指摘することが哲学の任務である。自由で公平な開かれた社会の実現は、哲学の課題などではなく、人々の共同作業における実践的な課題である。 |