☆ オヤジはなぜ嫌われるのか、オヤジはいかにすれば改善されるか(その2) ☆


 後悔先に立たず。「続く」などと最後に書いたばっかりに後編を書く羽目になった。オヤジを改革する方法がわかるくらいなら、私がまず自己改革している。そして、その方法を秘密にして、一人世間の尊敬を集めるだろう。
改革する方法はわからないが、いくつかヒントになることはある。それを披露してひとまずお茶を濁しておこう。

■おじいさんはそれなりに敬意を払ってもらっている

 オヤジは蛇蠍のごとく嫌われている。しかし、おじいさんはそれなりに尊敬され大事にされている。おじいさんが道にしゃがみ込んで苦しそうにしているとする。3人に1人は、「大丈夫ですか、救急車を呼びましょうか。」と声を掛ける。オヤジを毛嫌いする若い女性や、中学や高校の悪がきどもでも、おじいさんを助けようとする。日本人のモラルもまだまだ捨てたものではないのだ。だが、道で苦しそうにしているのが、オヤジだったらどうだろう。「いい歳して、気持ち悪くなるまで飲むなよ、ばか。」で終りだ。いきなり卒倒でもしないかぎり誰も助けてくれない。(それでも助けてくれないような気がする。)
 オヤジがプリクラ店に入ると、警備員が飛んできてすぐに摘み出される。下手をすると警察に突き出される。しかし、おじいさんが、プリクラ店に入っても摘み出されることはない。若い女の子達から「おじいちゃん、プリクラ好きなの。一緒に撮ろう。」とかわいがってもらえる。
 なぜ、おじいさんは大事にしてもらえるのか。答えは簡単だ。おじいさんは、自分がじいさんであることを口先だけでなく身体の底から理解している。おじいさんは、金と権力を持っていない。おじいさんは、すぐ疲れるので長話しをしない。要するに、オヤジの欠点をすべて克服している。しかも、体力が衰えているので、周囲に迷惑をかけない。
 誰でも一定の年齢に達するとオヤジになるのではない。同じように、一定の年齢に達すると自動的におじいさんになれるわけでもない。欲に目が眩み権力にしがみついていては、いつまでもオヤジだ。いくら長生きしてもオヤジのまま死ぬことになる。
 欲を捨て、権力をすて、金をすて、女性への欲望も捨て、みずからを知る。これがオヤジ改革の大原則だ。ただ、これが実行できるくらいなら始めからオヤジにはなっていない。ここが辛いところだ。

■オヤジ年齢なのにオヤジでない人がいる。

 40過ぎてもオヤジになることなく、齢を重ねていく幸福な人がいる。(故)石原裕次郎、長嶋茂雄がその代表だ。女性でも、八千草薫様のように、清楚で綺麗なお嬢様⇒美しい若奥様⇒上品で綺麗な初老の女性、と四季の移り変わりのように美しく変身して、遂におばさんになることなく人生を過ごされている方がおられる。男でもオヤジにならない人が少しはいるのだ。映画のヒーローたちの多くは、オヤジでないオヤジ年齢の人だ。みなカッコよくオヤジとは正反対だ。
 オヤジ年齢でオヤジにならない人たちの特徴を見ていこう。
 権力・金・名誉にこだわらない、明るい、思いやりがある、威張らない、気さくである、長話しをしない、いざというときに頼りになる、言い訳をしない、女性にべたべたと纏わりつかない、自分に厳しく他人にはやさしい、困っている人がいると危険を犯しても助ける、などが共通した特徴だ。
 よくみれば、普通のオヤジと正反対であることが分かる。だから、普通のオヤジは、自分が日頃やっていることとすべて正反対のことをすればよいのだ。これほどやさしいことはないはずだが、実際には実行不可能であるところが辛いところだ。できるくらいなら、やはり、最初からオヤジにはなっていない。

■聖人の教えを守り努力せよ

 どうも、オヤジ改革は巧くいかないようだ。そもそも改革できるくらいならオヤジになっていないのだから、オヤジ改革という言葉は論理矛盾のような気がする。ウィトゲンシュタインならば文法的に不可能と断じるかもしれない。
 だが、せめても、少しくらいはマシになりたいという心あるオヤジのために、お釈迦様とお弟子さんの会話を引用して参考としよう。

 弟子:「女性のいるところにきたら、どうしたらよいでしょう。」
 お釈迦様:「見てはいけません。」
 弟子:「見てしまったら、どうしたらよいでしょう。」
 お釈迦様:「話し掛けてはいけません。」
 弟子:「話し掛けてしまったら、どうしたらよいでしょう。」
 お釈迦様:「慎み深くしていなさい。」

 これである。女性に近づかないように努めることだ。近づかなくてはならないときには、自分の気を静めて自分の存在を極力無にするように励むことだ。女性に対して慎み深くなることができれば、すべての面で慎み深い味わいのある人間に近づけるだろう。もちろん、この目標が完全に達成されることはない。だが、常に心がけていれば少しはマシになるかもしれない。(でも、結局、これも無理な相談のような気がする。)

 オヤジは自動的にオヤジになるのではない。オヤジは長い歳月をかけてじっくりと熟成して初めて誕生するのだ。若者が一定年齢に達すると自動的に若者になるのとは大違いだ。オヤジは努力の賜物なのだ。(怠慢の賜物と言えなくもない。神の恩寵ということは絶対にない、神の罰なのかもしれない。)
 だが、だからこそ、オヤジの改革は容易ではない。いな、不可能に近い。はやく、おじいさんの領域に達することができるよう祈るだけだ。

(おしまい)

(H15/3/7記)


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