☆ 社会科学と自然科学(試論その2) ☆

井出 薫

 社会科学と自然科学の違いについて先に論じた。そこでは社会科学の対象である人間が意思を有する存在であること、社会科学には倫理が必然的に関係すること、この二つに着目して議論を進めた。だが、議論すべきことは他にも少なくとも三つある。

 一つは、動物をどう考えるかだ。動物に意思があるかは意見が分かれるが、少なくとも多くの哺乳類にはあると考えるのが常識だろう。ここで、分かりやすくするために、意思を心に読みかえてもよい。愛犬家や愛猫家ならば、犬や猫に心があるのは自明だと言うだろう。厳密な証明はできないが、動物園の動物たちやペットに意思などないと考えることは非常識だと誰もが感じる。もし、動物はすべて機械に過ぎず意思などないというならば、自分以外の人間が機械ではなく意思を持つことすら疑問ということになろう。また、意思を帰属することが妥当かどうかは疑問だが、蟻や蜂のような社会性昆虫もその行動を単なる物理現象として理解することはできない。このように、動物に関する学については色々と難しい問題がある。動物行動学は自然科学だろうか社会科学だろうか、動物の権利をどこまで認めるべきか、これらの問いに答えるのは容易ではない。ただし、ここでは、動物に関する科学は色々と難しい問題があることを指摘するに留める。

 次の問題は、自然科学と社会科学の関係を問う場合、存在論的な次元と、認識論的な次元に分けて論じる必要があるということだ。存在論的に言えば、社会を実在者と考えるか、形式的な存在に過ぎないと考えるか、社会実在論と社会形式論又は社会唯名論との論争がある。また、認識論的には、自然認識と社会認識の差異と同一性に関して様々な議論がある。たとえば、カントの「物自体」という概念は通常、自然的な対象に適用される。社会科学的な対象、たとえば国家、法、労働、資本などを物自体と現象とに分け、現象のみが認識可能で物自体は認識不可能と論じることに意味があるとは思えない。だが、その一方で、カントは道徳の根拠を物自体つまり理論認識が不可能な領域に求めている。カントの認識論が正しいかどうかはもちろん議論がある。しかし、カント哲学の例でもわかるとおり、社会科学には認識論的な観点からも自然科学とは別の考察が必要となる。但し、この点についても本稿では問題を指摘するだけに留める。

 最後に、自然科学と社会科学という区分が妥当なのかという問題を簡単に考えてみる。物理学と生物学では大きな違いがある。物理学は基本的にミクロの基礎原理を探求し、それをマクロ領域、宇宙などに応用する。物理学は確かに大きな成果を収めているが、物理学がすべての学の基礎原理で、自然現象のすべてが原理的にそこから導出できるという物理主義は幻想に過ぎない。生物学の対象は、細胞から地球生態系まで、合目的的で、それぞれの機能と構造で特徴づけられ、入出力を有するシステムという性格を持つ。そこでは、生物学固有の原理と方法が必要となる。化学は理論面では、量子力学や熱力学・統計力学に基礎づけられていると言えるが、現実の化学現象の分析や応用では、化学固有の理論と方法が欠かせない。地球の歴史や構造、その運動を研究する地球科学なども、プレートテクトニクスのように固有の理論と方法が存在する。脳科学は情報理論的な考察が欠かせない。このように、自然科学に分類される学をすべて同一の観点から見ることはできない。また数学や論理学をどう位置付けるかも難しい問題になる。数学や論理学を自然科学の一分野とみる者もいるが、両者とも実証科学ではない点で自然科学とは言い難い(注)。それゆえ、自然科学という分類は便宜的なもの、たとえば大学の学部の分類に使う便宜的な手法に過ぎないという考えもある。
(注)数学や論理学の位置づけは難しい。筆者は、それらをモデル・道具の操作、そしてそれら自身がモデル・道具の操作を対象とするモデル・道具であると解釈しているが、それについては別に論じる。

 社会科学も同様で、経済学と政治学や法学では学の性格が大きく異なる。それゆえ、社会科学という概念もまた便宜的なものでしかないという面もある。また、社会科学と一線を画する学問領域として、人文科学という区分を設ける場合がある。文献学、歴史学、美学、人類学などがここに入るが、社会科学と人文科学の境界は明確ではない。また、これらの学を科学という言葉で表現することは適切ではないという考えもある。さらに、言語学、心理学など、どこに帰属させるべきか判断が難しい学もある。

 このように、社会科学と自然科学という区分は便宜的なものに過ぎないという面がある。だが、それでも、社会科学は自然科学とどこが違うか、どこが同じか、どのような観点からそれを問うべきなのか、このような問いは意義がある。それは、先に述べた二つの問い、動物をどのように考えるか、学の性格を論じる際に認識論的観点からの問いと、存在論的な観点からの問いとを分ける必要があるという問題とも関わりを持つ。そして、そのことは、社会科学と自然科学という問いを超えて、存在そのもの、学そのもの、人間そのものを問うことに繋がり、その基礎にもなる。また、数学や論理学、そして、倫理学を問うことにも繋がる。それゆえ、一見、非本質的に見える社会科学と自然科学との差異と同一性に関する議論は、極めて重要な哲学的な課題と言ってよい。


(2021/5/28記)


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