里見哲
阪急電鉄は、全座席がシルバーシートになっているという。お年寄りの方、妊婦の方、体の不自由な方に席を譲るのは当然だから、この判断は、全く正しいだろう。つまりシルバーシートという区別は必要ないという発想だ。サービスも良く、お客さまに対し性善説的な考えに立つ阪急電鉄に何か親しみを感じる。 市場原理主義に基づくと称する単純な勝ち組、負け組みのレッテル貼りは、一時ほど流行っていないようであるが、競争原理が猛威を振るう社会において、生活世界では思いやりや相互援助がより重要になるだろう。言い古されているが、競争と協力のバランスが大切である。かつて内村鑑三は、これを富と徳の楕円で示した。経済学の祖といわれるアダム・スミスは、『道徳感情論』を著した。 だが、全座席シルバーシートになって、お年寄りや体が不自由な人たちは、席に座りやすくなったのかの検証が必要であろう。シルバーシートというのは、特殊な空間であるからこそ、一種の雰囲気をかもし出し、お年寄りや体の不自由な人のためにあけるように機能していたのではないか? あるいは、お年寄りや体の不自由な人たちは、シルバーシートの近くに行けば座れる可能性が高いと思って行動していたのではないか? ということである。特殊空間でこそシルバーシートが機能していたとしたら、全座席シルバーシート化は、その目的の達成に失敗するであろう。 このように相反する問題を止揚(脱構築と言ってもいい)する策が、ゴールドシートの設置である。ゴールドシートは、シルバーシートと異なり、絶対に他人に席を譲ってはいけないシートである。例え、自分の前に杖をついた老人が倒れてきても、体の不自由の人が辛そうにしていても絶対に譲ってはいけないシートである。このように特殊な空間を持つことで、ゴールドシート以外の席では、お年寄りや体の不自由な人に席を譲るのを日常化することができるだろう。そもそもシルバーシートより、ゴールドシートの方が豪華な感じがするだけで進歩と言えるのである。 |