☆ もう一つの抵抗勢力「労働組合」 ☆

里見哲

 かつて若いうちにゴルフをしたいのなら、労働組合の執行委員になるのが一番いいと言われていた時期があった。組合活動に専念し、本来の仕事を全く放棄し、組合幹部に取り入って、会社でも出世していった輩は数多く存在した。組合ゴロから会社ゴロへの華麗な転進である。組合の全国大会は各地の温泉地で行われ、古典的な酒宴が繰り広げられていた。女性社員へのセクハラなど、日常茶飯事であった。

 戦後日本の民主化や平和運動、労働者の地位の引き上げに労働組合が大きく貢献したことは確かである。もし労働組合の存在がなかったとしたら、戦後日本の繁栄や民主化もこれほどは進まなかったことも確かであろう。

 だが、日本における労働組合は、企業別の組合活動が中心であった。結局は、会社のあげる利益をどれだけ公平に分配するかをチェックする機関に過ぎなかった。これはこれで大変重要な機能ではある。しかし、基本的には、会社の施策があり、その対案を示せば、一応使命を果たすことができるという単純な構造であった。一家の主である男性組合の利益を確保し、管理者への昇進の道を開くことが組合に期待されていたほとんど唯一の使命であった。

 今回の自民党総裁選は、抵抗勢力は敗北するか、名を売って実を取る選択をするかの決断に迫られた。抵抗勢力はしぶとく生き残っている状況である。このしぶとく生き残っている抵抗勢力は、かつての労働組合にとっての相手方にあたる。つまり、労働組合は、革新派の抵抗勢力に成り果てているということになる。

 連合の結成時、多くの人たちは、その活動に期待したが、成果はほとんど得られなかった。政権交代論と称し、政権奪取論を唱えない民主党は、今になっても比例区選挙には、各産業組合の大物を立候補させている。

 恐らく、現在の閉塞した状況を打破するには、少なくとも二つの選択肢があるのだろう。ひとつは、両陣営とも抵抗勢力を清算して、あらたな党に脱皮すること。もうひとつは、両陣営の抵抗勢力と称されている層が、現在の利害関係を清算し、国民単位の社会民主主義的勢力に成長することである。企業別組合の枠組みは既に崩壊しているからである。

(H15/10/5記)


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