☆ 公共放送のスポーツ中継 ☆

里見哲

 放送は、多大な影響を視聴者に与えるにも関らず、利用できる電波が限られている。そのため、いわゆる地上波テレビ局は、寡占状態が正当化される一方、許認可権を行政に握られている。いぜん護送船団と言われる体制が続いているわけである。テレビ局員は高給を保証されており、下請けの制作会社は、徹底的に叩かれる。民放の数は限られているが、下請け会社は数多く存在するからだ。

 民放各局の収入は、広告宣伝費である。出来るだけ視聴率を稼ぎ、広告のクライアントを増やし、テレビCM単価を高めることが民放各局の目的である。制作費を極力押さえ視聴率をあげる手段は、実は高度のものではない。おじさん週刊誌と同じく、セックス、ゴシップ、スポーツイベントの周辺材料を適度にあつめればいいだけだ。週刊誌は、完全自由競争のため、他誌を出し抜くためには様々な工夫が必要だが、寡占状態の民放にはその緊張感も不要である。

 ほうっておくと、低俗化、迎合化が免れないテレビ業界を補うために、公共放送局の存在が認められている。膨大な経費の利用が認められ、視聴率ではなく番組の質がとわれることになる。低俗化、迎合化の逆のベクトルを目指しているわけである。公共放送は、自局の番組の内容を問われると同時に、ある意味で民放のモデルとなるよう位置づけられている。

 したがって、この世で既に認められているもの、人々に迎合する内容のものを放送する必要はないわけである。公共放送局が放送しなくても、民放で充分収益があげられるような番組を作って放送する理由はほとんどない。

 日本のプロ野球の人気が翳ってきている理由の一つに、マスメディアの力をフルに活用した結果、巨人中心の仕組ができあがってしまっている点があげられる。長島、王がいた巨人が人気を集めたのは、マスコミの影響だけではないが、今の巨人にそれだけの人気を集める力はない。むしろ、今年などは、ダイエー、西武、近鉄の優勝争いが続いたパリーグ上位チームの試合や阪神戦のほうがずっと見ごたえがあった。
 今年、NHKは、東京ドームの巨人戦の中継を地上波で行った。これは公共放送として、社会に付託された使命を二重に裏切っている。一つは、自由競争に任せておいていいコンテンツを公共放送が行ったこと。もうひとつは、聴視料の無駄使いである。巨人の選手のヒット1本が、他チームの選手の大活躍より、大きく報じるスポーツジャーナリスムの体質とは一体なんなのだろうか。皮肉を言えば、消化試合の中継は、公共放送に相応しいのかもしれない。

 マスメディアの影響に、課題設定機能というものがあると言われている。NHKは、パリーグ優勝争いに、民放は阪神戦の中継にこそ注力するべきであったろう。この秋口、阪神の優勝を控え、閑古鳥が泣きかねない巨人戦をNHKが放送し、多くの人の関心を集めている阪神戦の中継は地上波では行われないという状況があった。あわれなのは視聴者である。民放は自らに相応しい公共放送を持つということだろう。下らないコンテンツなど渡辺社長や日本テレビに任せれば聴視料の無駄使いはなかったはずだ。それともデジタル放送用のコンテンツを得るための駆け引きだったのだろうか。民間にできるものは民間に任せるというのが現在の国是ではなかったのか。

 日本ラグビー会の低迷も、ラグビー協会の責任も大きいが、第3回ワールドカップ以降、NHKが権利を持つ日本選手権以外のラグビー中継を軽視したためでもある。新しいデジタル放送などで巨人戦を中継する目的は理解できるが、昨今のNHKのスポーツ編成は疑問の点が多い。二重、三重に視聴者を裏切ったような編成責任者は、放送業界という微温湯体質でなけば更迭された可能性が高いだろう。

(H15/9/19記)


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