〜空洞化する高卒資格と外国学校問題〜 里見哲
外国学校の大学入学資格が話題となっている。そもそも大学入学資格とは何か。人気のある大学は、少子化時代を迎えた現在も狭き門となっている。大都市圏の公立高校からの進学は、困難なようである。通常の高卒の資格では高嶺の花ということである。有名大学への進学は、私たち社会人が逆立ちしても解けないような問題をこなす必要がある。もう一つの話題は、大学生の学力低下や授業中での私語の多さである。このように現在大学を巡る話題を列挙すると、それぞれの内容が矛盾しており、実際に何が起こっていて、どのような対策が講じられているか一般の人たちにはさっぱり分からない状況だ。 矛盾点をあげてみよう。 1.難関大学でも学力低下が見られるのか。見られるとしたら、難しい入学試験を課す意味とは、単なる選抜にしか役に立たないのか。 2.大学入学資格とは何なのか。難関大学には入れない高卒者と大検合格者との学力はどちらか高いのか。高校で生物の未履修のため、医学部教育に支障が出ているという話を聞くが、それはそもそも、大学医学部に入学する資格がなかったと考えるべきではないのか。そういう学生を入れた大学も無責任ということだ。 3.授業中に私語がでるというのは、大学の講義の内容やシステムに問題があるのではないのか。大学教育の問題か、そのような学生を入れた大学の問題ではないのか。 つまり問題は、入学試験のパズル化とともに、高卒という大学入学資格の空洞化が問題となっているということが分かる。入学試験は、受験生を選別する競争試験であるため、結果に差がつくものを出題する必要がある。しかし、その試験の内容ができるかできないかと大学教育を受けるに相応しい学力を満たしているかを判断とは別の次元のものである。一方、大学入学資格の中心である高校卒業は、出席さえすれば学力に関係なくとれてしまうのである。このような問題は、単に「ゆとりのある教育」とか、大学入試改革などを個別に改善したところで解決するものではない。各大学にどのような学生を取りたいかという理念が希薄であるのと同時に、大学入学資格の考え方自体に問題があると考えたほうがいいだろう。私立の進学校の中には、受験科目以外は教えないというところもあるようだ。 とりあえずの解決策として考えられるのは、大学資格試験を教科書の内容さえ理解できれば60点位は取れるレベルのものとして実施し、60点以上のものは、その科目に関する大学入学資格を得るという方法だ。各大学は、必要な大学入試資格科目を指定するとともに、独自の競争試験を実施して入学者を選抜するという方法である。現在のシステムは、すべてを入学試験の結果で選別しているところに問題がある。医学部であれば、たとえば、生物の教科書の6割以上を理解している学生に受験資格を与え、個別の入学試験では、英語、数学、物理、化学などを課せばいいのではないか。大学入学資格が空洞化している今、外国学校卒業者に資格を与えないというは、やはり不公平ということになるだろう。そして、学力低下の問題は、競争試験ではなく、外国学校卒業者を含めた、平易な大学入学資格試験で解決するべきではないのだろうか。現状では位置づけが今ひとつはっきりしない大学入試センター試験の見直しということになるだろう。 |