☆ 清く正しい高野連 ☆

里見哲

 高校野球部員に対する特例、奨学金が問題となっている。学生野球憲章に違反する行為であり、該当する高校の野球部長は退任させられるという。高野連は多くの高校で特例措置が行われたことに驚いているらしい。さすがに純粋でひたむきな戦いが多くの人の感動をよんでいる高校野球の総元締めである高野連に相応しい純粋さである。

 春夏の甲子園における大会は、一部からは高校野球大会ではなく、野球高校大会なのではないかと指摘されてきた。地元出身選手がほとんどいない地方の高校や野球部設立二年目の高校の甲子園出場など、奨学金無しで実現できるとはとうてい思えない。取材するマスコミ側が把握していたのに、高野連が把握していなかったとしたら、それこそ驚きである。

 高校が生徒を集めるためには、進学率をあげるかスポーツ大会で顕著な成績をあげて知名度を高めることが最も効果的である。高校が野球のうまい中学生をスカウトするのは、経営のためでもある。またマスコミにとって高校野球は重要なメディア・イベントである。意地悪く言えば、高野連も学校も主催する新聞社も自分たちの生計の足しに高校野球、生徒を使っているという面がある。高校野球は、この三位一体の利害関係に父兄などの思惑が重なったうえで成り立っている。

 そして、たとえ野球高校といわれる選手の活躍も全国のファンを沸かせるのである。数多くのライバルを打ち倒し、トーナメント方式で行われる高校野球は、商魂逞しい大人達の思惑があっても、それでも多くの人達に共感を与えることができるのである。選手が、野球で奨学金を貰っても非難するのは筋違いだろう。マスコミが大げさに訴えているように、高校野球の選手が純粋なわけではあるまい。しかし、それだけの才能があり、親元を離れてまで野球をしたいというほど打ち込んでいるのなら、応援するのも当然である。

 このような状況にあって、なお奨学生の存在を知らなかったとするのは無責任であろう。清く正しい高野連ではなく、責任のある高野連が求められている。必要なのは、このような諸矛盾を踏まえたうえでの解決策の提示である。特待生制度だけを目の敵にして解決する問題とは思えない。学業優秀者が他のスポーツ同様な特待制度であれば廃止することもない。授業料、寮費の免除を限度に高野連に報告することを義務づければいいだろう。

 そもそも高野連はそのような状況を察知していたから、選抜大会に21世紀枠を設けたのではなかったのか? 選抜大会は高野連が望ましい高校野球を訴えるいい機会である。地域性を重視するなら、ベンチ入り選手の出身中学なども考慮して選出するべきであろう。野球の場合、いい投手がいて、守備さえ鍛えておけば、特待制度のない高校でも充分、野球高校に勝てる可能性もある。地元の選手が数名しかいないという高校は、地区大会優勝以外除外するなどしてもいいのではないか。高校野球からPR戦略の要素を減らすことが、健全性を保持する要となるだろう。

(H19/5/5記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.