☆ 真夏の怪談 ビラ撒きの不思議 ☆

里見哲

 政党のビラを撒くためにマンションの共有スペースに立ち入った住職が無罪となった。この判決は妥当であろう。確かにマンションの居住者にとって、ビラを入れられることはほとんどの場合迷惑である。立ち入り禁止という表示があり、住民の退去要求を拒んだり、長時間に渡り退去しなかったりした場合は逮捕されるのもいたしかたないだろう。今回の判決では、明確な立入禁止の表示がされていなかったこと、社会通念上、立ち入っただけで直ちに逮捕という判断は現時点では成り立たないこと、商業ビラで捕まったという例がないことなどが判決の理由となっており、論旨は明快である。

 だが、今回の事件で不思議な点が二つある。一つは判決理由でも触れているが、ビラ撒きそのものは、商業ビラが大半を占めると思われるが、逮捕されるのはなぜか政党のビラの場合であること。二つ目は、無罪となった住職およびその支持者が、表現の自由が守られたという声明を発表していることである。本来マンションへの立ち入りが問題となっているのに、なぜか政治的立場の表現という問題になっていることこそが問題である。

 他人の共有スペースに、歓迎されないビラを撒くことが表現の自由なのか。それは街宣車で自分の政治的意見を大音響で撒き散らす人たちと同レベルの発想に留まっているようにみえる。これが表現の自由という観点から語られるのは、ビラを撒いて捕まるのが、商品の宣伝ではなく政治ビラに限られているからである。思想、信条の表現の自由が尊重されるなら、少なくとも商業ビラと政治ビラは同一に扱われなくてはおかしい。

 国民はそのレベルに相応しい政府を持つとも言われるが、今回の最大の問題点は、なぜ政治ビラを配る人たちだけをターゲットにして逮捕しているのか、当局の姿勢を問うこととであろう。次の問題として、共用スペースへの立ち入り基準を明確にすることである。他人の敷地に入って政治ビラを撒くことにより表現の自由が守られたと言っていてもそれは独善的なものでしかないだろう。二つの異なる次元の問題を混同していることに今回の事件の分かりにくさがある、とここまで書いた9月2日、検察が控訴したと報道された。やはり表現の自由も危機的状況にあるのかもしれない。

(H18/9/2記)


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