☆ 愛国心を測る方法はあるのか ☆

里見哲

 愛国心を巡る議論が起こっている。若者の利己的な言動は、愛国心教育の欠如がもたらしているという考えもあるようだ。だが、愛国心なるものが欠如しているのは、何も若者だけに限らない。国民全体、国際社会全体の利益より、自分たちの利権に拘る大人たちが多いことこそ問題になっているのではないだろうか。

 身の回りの人や自然を愛し、自分たちの文化を育てながら、世界の様々な国や地域の文化を尊重するという内容を愛国心というなら、愛国心教育も無下に否定するものではないだろう。だが、それなら若者に対し、社会の一員としての自覚を持ち、自文化、異文化に対する理解を深め、自分の利益と周囲の利益を勘案し、総合的視点をもって国際社会全体の福利向上を目指す姿勢を養成するという教育目的でいいはずである。

 識者の言う愛国心とは、そのようなものではないのかもしれない。現状では、愛国心にも様々な定義があるということなのだろうか。大人たちのいう「愛国心」の定義が様々であるうちは、子供たちのもつ「愛国心」の程度を測る尺度というものが存在しないということである。つまり、愛国心なるものを測定する意味があるのかを別としても、生徒のもつ「愛国心」を測ることは不可能なのである。

 聞くところによると、それでも生徒に対し、愛国心の評価を行っている学校があるという。一体どのような方法で評価しているのだろうか。愛国心と書いた紙を、踏み絵のように生徒の前に置き、踏まなかったら愛国心があるという評価を下しているのだろうか。大人が愛国心を理解していないにもかかわらず、若者たちに愛国心を強要することとは、著しく「愛国心」に欠けた無責任な施策と言わざるを得ない。「本当に大切なものは、目に見えないんだよ」ということをキツネから学んだ星の王子さまのメッセージは、大人に対して向けられたものであることを忘れてはならないだろう。

(H15/6/2記)


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