里見哲
横綱の品格が問われている。相撲は、その儀式性も魅力の重要な要素であり、その頂点に立つ横綱の言動が問われるのはしかたがないだろう。朝青龍関の今後の努力に期待したい。朝青龍の言動を非難する論調が多い中、サンケイスポーツのコラムで、「朝青龍は、品格のある敵役を目指し、大相撲人気を盛り上げろ」とエールを送っていたのが目を引いた。 しかし、横綱審議会の面々の品格はどうなのであろうか。ファンの要望を無視し、セ・パ交流戦を実施せず、やたりに他球団の悪口を言う大新聞社の社長などは、ファンにとって敵役ではあるが、品格があるとは思えない。第3の勢力といわれるマスコミのドンは確かに人格者であるより、敵役が相応しいのだろう。 敵役が全盛の時代は、安易なヒーローが蔓延る時代よりはましであるのかもしれない。だが、品格を問われるのは、弱者であってはならない。暴力団から金を受け取っていた国会議員が居直り、不倫した女性アナウンサーが番組を下ろされるというのはいかがなものであろうか。女子アナを必要以上にちやほやする風潮と、実力もないのに脚光を浴びて舞い上がってしまった女子アナの悲劇である。冷静に考えれば、女子アナ程度の美貌と知性を兼ね備えている女性は幾らでもいるのである。 特に品格を問われるのは、権力者、責任者である。名門球団のオーナーでもある新聞社の社長は、自らの品格と、自軍選手の品格も同時に問うべきだろう。死球を当てられて、若いバッテリーを脅かすような主力選手を放置しておくオーナーに、相撲の品格を論じる資格があるのだろうか。それは、女子アナを降板させた放送局幹部にも言えるだろう。放送局幹部に不倫をしたものは一人もいないのだろうか。 役所の審議会が時にして責任の所在を曖昧にするように、横綱の品格の問題を審議会の名の下にあいまいにしてはなるまい。当然、品格を問われるのは、相撲協会幹部と朝青龍を推挙した横綱審議委員会のメンバーである。今回の出来事は、現代社会において、リーダーの品格なるものが、いかに堕落しているかを自戒する機会と捉えるべきであろう。 |