☆ 竹島は誰のものか ☆

里見哲

 竹島問題で激論が交わされているという。外務省のホームページの説明を読むとどうも竹島は日本の領土のようである。アジア歴史資料センターで調べると明治38年1月28日付で「隠岐島ヲ距ル西北八十五哩ニ在ル無人島ヲ竹島ト名ヶ島根県所属隠岐島司ノ所管ト為ス」という文書もある。竹島が日本でないとすると、八重山諸島や小笠原諸島もどこかの国が領有を主張するかもしれない。

 だが、実質的に人が居住できないような岩の塊を歴史と伝統を誇る両国で取り合うのは、あまりにも見苦しいのではないだろうか? 漁業権の問題や資源など金の問題であれば、両国の話し合いで調整は付くはずだ。両国が威信をかけて竹島の領有を主張するとしたら、両国民ともかなりお粗末だと言わねばならないだろう。世界の最先端を行く両国であれば、竹島の権益を恵まれない第3世界の人たちに還元するくらいの発想があってもいいのではないか。竹島問題は、両国政府が国内諸問題から国民の眼をそらすためにやっている猿芝居ではないかという気もしてくる。

 日本海を東海と改称したところで、日本の国粋主義者が「見よ東海の空あけて」と喜ぶだけである。これこそ「愛国」である。「東海」から旭日が高く輝くのは朝鮮半島と隠岐、対馬くらいのものであろう。もっとも韓国国民が喜んでくれるのなら、むしろ日本列島を東列島と改称する代替案を出してもいいだろう。南アルプス市などと国辱的な命名をしているところもあるくらいだから日本人が地名変更にこだわるのも解せない話である。また、過疎に悩む島根県は「竹島の日」を制定するより自由に外国から人が来て働ける特区を作ったほうが建設的ではないだろうか。かつては人口増が海外進出の理由づけとなっていたのである。

 こんなことでは、岩の塊「竹島」は、存在しないほうがいいのかもしれない。今後も両国の紛争の種となるのなら、一番竹島を必要としているアシカやアワビのものとしても良い。竹島(独島でも良い)は、世界で初めて人類ではなくアシカが統治する領土である。これは戦争や紛争が絶えない国民国家という制度に限界を感じた両国国民の平和と友好を目指す考えに基づいた革新的施策である、とすればいい。

 問題が竹島領有に伴う経済的利益であるならば、財政に悩む国際連合にアシカ島(別名、竹島とも独島とも言う)を寄付し、その権益からあがる収益を両国の国連負担金分に充当してもらえばいいだろう。国連はジェラシックパークでも作って儲ければいい。かくしてアシカ島は、日韓両国ばかりでなく世界各国の友好の象徴となりうるのである。

(H18/4/21記)


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