里見哲
少し前の話になるが、上野千鶴子氏が、2005年8月17日付の朝日新聞朝刊8面の「女帝議論のために」で完璧なロジックを展開している。女史の理論の概要は次のとおりである。 1.天皇という人間が「国の象徴」であるとは、象徴のことばの用語法からしておかしい。憲法を改正するなら第1条から手をつけるべきだろう。 2.万世一系は虚構である。 3.現天皇は政治に関わってはならないので、「皇室外交」などというものも存在してはならない。それならば文化財天皇制を唱える人もいるが、文化財ならなんでも残せばいいというものでもなかろう(例として「遊郭」と「腹切り」をあげている)。 4.歴史を超える伝統など、存在しない(若干難しいが、女史の定義なのだろう)。天皇を男性に限ることも明治になって作られた伝統に過ぎない。現憲法でも男子に限るとは書かれていない。 5.天皇は日本社会における権威の中心にいる。権威主義の「男女共同参画」は要らない。 6.そもそも民主主義の世の中に、生まれながらにして他の誰よりも尊い個人がいるのはおかしくないか。 7.日本のナショナリズムが成熟しているとすれば、天皇に依存する必要はなかろう。 8.天皇制という制度を守ることで、日本国民は、皇族という人間を犠牲にしてきた。 ほぼ反論の余地がないロジックである。代替案があれば、第8項の理由ひとつだけで女史の意見に賛成しても良い。しかし、これを読むと、かつて笹川さんという大偉人が、テレビCMで、「お父さん、お母さんを大切にしよう」と完璧なことばを連呼しながら、ほとんど誰の心を打たなかったことを思い出してしまう。全くの正論とは、人を動かせるものではないのかもしれない。とりあえず、上記1項から8項までについてコメントする。 1.天皇を天皇家(天皇から一親等以内のグループ)に改める。天皇一家を日本(の家族像)の象徴とする。したがって、浮気、不倫をしても日本を象徴することになる。もっとも1条については改憲論者から天皇元首制に改定との動きもあり改定を避けるのが無難。 2.そもそも万世一系というのが、誇るに足りるものなのか。虚構という指摘は、万世一系に価値を認めているということなのか。単に万世一系が永遠に続く系統ということに解釈を広げれば、今生きている生物はすべて(少なくとも候補者としては)該当する。 3.その時代の人々の多く、あるいは一人者が価値を認めているものが文化財であり、遊郭、腹切りを文化財とよぶのは詭弁である。たとえば、原爆ドームは、建物としての機能を喪失しているが、平和を守るためのシンボルとして、人々が保存することに決めたのである。逆に今となっては惜しまれるが、萩城の天守閣は明治維新時に破壊されたのである。「皇室外交」が問題なら、「表敬外交」とでもすれば良い。 4.歴史を超える伝統という表現が理解不能である。明治になって作られた伝統では価値がないのか。今や中日―阪神戦より価値のない巨人―阪神戦を伝統の一戦と称しているが、そもそも昭和に入ってからの伝統である。また立教―東大戦は、大正時代からだが、誰も伝統の一戦とは言わない。ホブズボームの単純な引用は日本人インテリの伝統になるのだろうか。 5.権威の中心にいるのか、権威づけに使われているのかは別として、基本的に同意。中途半端な改革を答申した「栄典制度の在り方に関する懇談会」の座長を務めた吉川弘之氏が、「皇室典範に関する有識者会議の座長」では、結論もほぼ予想できる。 6.近隣に民主主義人民共和国があるが、親分は世襲。所詮建前の世界の話。 7.ナショナリズムの定義が不明であるが、円谷英二氏が撮影した「皇道日本」(1940年)という国策映画では、日本の誇るものとして1.万世一系、2.勤勉な国民、3.美しい国土の3つを挙げていた。前述のように万世一系は、誇るに足るものかは議論の余地がある。現在の日本では、国民が勤勉とは言えず、国土も破壊され、汚い街角が多い。日本のナショナリズムは成熟していない。したがって世界に誇るものといえば、自虐史観くらいしか思いあたらない。 8.全くの同感。まともな代替案があれば実現すべき。上野氏を名誉元首としても良い。ただし、卑弥呼の復活という新しい伝統ができてしまうかもしれない。個人的には現都知事や元府知事は避けたいところである。それくらいなら、1日天皇制のほうがましである。30年もすれば立派な伝統となり、百年たてば「世界に冠たる1日天皇制」と誇れるだろう。 元首は決まっても、ナショナリズムの核が難しい。いっそ「自虐史観」ではどうだろうか。「我々は、世界に類を見ない自虐史観を持ち、他の自国中心主義の国より1世紀は進んでいるのだ。君達と違うのだ。つまり日本国は世界で一番なのだ」と世界に向かい発信するべきだろう。自国民を客観的に分析するのは、普通の人にはできない。つまり「日本は神の国」と言ってもそれほど間違いでは(政府関係者以外なら)ないのである。もっとも「神の国」というものが誇るに足りるのかは、はなはだ疑問であるのだが。 |