☆ さっぱり分からない東京家裁、板橋両親殺害少年検察逆送 ☆

里見哲

 社員寮の管理人をしていた両親を殺害したとされる少年が、家裁から検察に逆送された。新聞記事による間接的な情報だけで、家裁の判断に疑問を呈するのも問題があるが、この判決には分からないことが多すぎる。裁判長は、1.成人犯罪でもまれな事例で凶悪、2.格別酌むべき事情はない、3.2000年の少年法改正で殺人事件を起した16歳以上の少年は原則検察側へ逆送することとなったことを踏まえ、長男は犯行時、16歳になる約1か月前だったことから「法改正の趣旨からも、罪の重さに見合った刑罰を与えることが重要。刑事処分が相当だ」と述べたらしい。

 この事件の場合、成人ならば起こらなかったのではないのか。快楽殺人ではなく、両親の殺害というのは、それだけ本人が追い詰められていたのではないのか。殺人という方法をとったのは、むしろ幼児性が問題ではないのか。両親を殺害してしまって、泣いて後悔しているのに、厳罰に処す必要があるのか。16歳になっていない少年に対し、16歳以上が改正の対象であった少年法を援用するとは詭弁ではないのか。疑問をあげればきりがない。

 「自らの犯した罪の重大性を本人に充分理解させるとともに、その罪の重さに見合った刑罰を与えて罪の償いをさせることが、確固とした贖罪意識や規範意識を体得させ、将来再び犯罪を犯すことのないようにするためにも重要で、そのことを抜きにしては、長男の社会復帰は困難となり、真の更正は図れない」(朝日新聞2005年8月16日夕刊3版12面掲載の要旨)と、この裁判官は思い込んでいるらしい。

 罪の償いというのは何か。両親を殺害したという事実と後悔、それが一番の罰となっているのではないのか。「なぜ殺した」と自問していると伝えられている少年の言動では、そのようにも判断できる。再犯の可能性については、この少年は将来実の両親を殺害する可能性は全くない。また一人息子であり、遺族の感情を考慮して重罪にする必要もない。更正の可能性は、今まで自分の居場所がないと妄信して犯罪に走ったという幼児性を矯正し、人や社会に愛情を持って接することができるよう指導することによって生まれてくるのではないだろうか。面白半分にホームレス殺しや金目当ての殺人とは違うのである。

 このように考えると、この裁判官は少年法の改正をこの世に知らしめるために、このような判決を下したのではないかという疑問も出てくるだろう。この少年は自殺でも家出でもなく殺人を選んだ。その選択に至る経緯こそが真に問題にされるべきだ。厳罰が少年を矯正できるのだろうか。少年を追い込んだのは大人たちだったのではないのだろうか。厳罰を与えないと社会復帰できないという発想は、どんな根拠があるのか。これでは家庭裁判所の存在意義が問われるだろう。これは、まさに「家庭」の崩壊を示す一つの事件である。

(H17/8/27記)


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