歴史教育の貧困

里見哲

 文部科学大臣が、従軍慰安婦というのは昔はなかった言葉であり、教科書から減ってきたのは望ましいという趣旨の発言をしたと報道されている。学力低下を憂い、ゆとりの時間の廃止を検討している大臣の発言だけに重みを持つ。ご自身の発言を裏付ける有力な根拠として使っても良い。

 そもそも、昔なかった言葉で、歴史を語るということがおかしなことなのだろうか。縄文式土器、荘園制、安土・桃山時代などという言葉も昔はなかったのではないのだろうか。第一、江戸時代や明治時代の公文書ですら、独特の文体で書かれており、現代人には読み解くのが困難である。大臣の言葉を真に受ければ、教科書は、古文や漢文ばかりで、ほとんどの人が読めなくなってしまうだろう。

 つまり、中山文部科学大臣は、歴史に対する素養がないということになる。明らかな学力不足である。ご自身の学力不足を棚に上げて、自分の価値観を反映させて歴史教科書にさまざまな感想を言い散らしている姿を見ると、国の恥ではないかとも思えてくる。このような発言を続けるのは、まさに自虐的であり、国益を損なうものである。科学ということばが空疎に響く。もっとも、この言葉も昔はなかったのであるが。

 酒場での政治談議レベルの発言を繰り返すまえに、大臣は一度、大学センター試験の日本史や世界史の問題を解いて、その点数を公表してはどうだろうか。点数もさることながら、その問題の下らなさに気づくだろう。その下らない問題こそが、高校における歴史教育の指針となっているのを知れば、文部科学大臣としてこれから何をしなければならないか理解できるに違いない。歴史に対する学力不足は、青少年だけの問題ではないからだ。

 歴史教科書の善し悪しを従軍慰安婦の記載の有無で議論すること自体が、この国の歴史教育の貧困を物語っている。

   学力不足の大臣を持つことは必ずしも悪いことではない。このような大臣は、落ちこぼれの心理も共有できるだろうからだ。教育改革は進むだろう。文部科学大臣の今後の活躍を期待したい。

(H17/6/21記)


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