現在の中日関係は、誰の責任なのか?

里見哲

 中国で反日活動が強まっている。中国政府は、「現在の中日関係の責任は中国側にない」と表明している。日章旗を焼かれたり、日本人というだけで殴られたりしたうえ、このような政府表明をされては、日本人も感情的になるのもやむを得ないだろう。2国間の問題で、片方に全く責任がないというのは、一体どういうことだろうかといきまくのは当然である。

 しかし、日本政府もかつて「国民政府を相手にせず」と言ったこともあるし、21か条の要求を突きつけたこともある。何よりも中国を戦場にしたことは否定できない。前の大戦では、日本人の死者300万人以上、中国は1千数百万人にのぼっていることを忘れてはならないだろう。

 つまり、今回世界中から失笑をかうような中国政府の発言や、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のワールドカップ予選における醜態などは、過去の日本の行動がなければ、起こらなかった可能性があると考えるべきだろう。

 前回の敗戦により、日本は戦争がその犠牲に引き合わないものであることを認識したと同時に、地政学上も、米国、中国に加え、韓国との良好な関係ぬきでは、安定した国際関係を築けないことを学習したはずである。ここで、中国政府の政策的意図が見え隠れする発言に単純に反発することは、過去の日本に戻ることを意味しないだろうか?

 もちろん、過去の日本を全否定するのも行き過ぎである。中国で散った日本人には、自虐史観的な考えを振りまく無責任な知識人より、高潔で優秀な人材が数多く存在したに違いない。それを踏まえ、今後の日中間に必要なものを問うことこそが、日中間の不幸な歴史を清算するうえで生産的な方法なのではないだろうか。新しい歴史教科書を支持する人々も、得意になって過去の日本人の悪行を追及するたちも、その多くは、自分を正当化するために、歴史を道具として使っているように見える。その意味では、今回の中国政府の発言と同レベルの幼稚な段階にあるといっていいだろう。

 過去を学ぶということは、今どのように振舞うかということを学ぶということだ。あのような行動をする中国の人々が、日本に対しどのような感情を持っているのか? 今回の中国政府の表明の背景はなにかを考えるべきだろう。感情は大切であるが、その感情とは、日本人にとっては、不幸にしてなくなった日中両国の人々への哀悼の意であるはずである。

(H17/4/13記)


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