20歳を目前に控えた成熟社会「日本」

里見哲

 日本を代表する先進県である長野県では、12月1日から県所有の施設において屋外でも一切禁煙の措置が取られることとなった。煙草は「百害あって一利なし」であり、非喫煙者の健康にも悪影響を与えるので、禁煙区域を増やすことは基本的に望ましいことである。さすがに長野県である。日の丸、君が代に対して人間以上に敬意を払わなくていけなくなりそうな東京都民の目から見て、真に人権が尊重されている姿勢は羨ましくもある。

 戦後、日本が復興できたのは、GHQのご指導、ご鞭撻により日本社会に人権、民主主義、自由が定着したからである。GHQの撒いた種は、今さまざまなところで大樹に成長している。自由を守るため、碌な議論もせず閣議決定により自衛隊のイラク派遣が延長されようとしているし、主権者たる国民の健康を守るため害のあるものは一律して禁止されようとしている。このように成熟した日本国民は、故マッカーサー元帥に対し、「我々は、ようやく19歳になりました。20歳になると煙草を吸ってしまいますので、ずっとこのままでいるつもりです」と胸を張って報告してもいい水準に確実に達しているのである。かつて、病院の待合室ですら、許されていた喫煙が、今や誰の迷惑もかけない場所ですら禁止されようとしている。

 しかし、極端な健康重視は、必ずしも人権の尊重には繋がらないことは、ナチス政権下のドイツを見ても分かることである。あるいは米国の禁酒法はどのような事態を招いて廃案になっただろうか。ストレスを煙草で解消していた人たちが、ほかにどのような形でストレスを解消できるか、ストレス大国日本においては、重要な課題である。

 長野県でもこの辺の事情は、きちんと把握した上で実施している。県会議員の同意が得られなかったため、議員控え室では喫煙が許されているし、警察署内でも容疑者に限り、その人権を守るために喫煙が許されることになっている。従来の官僚的発想からは考えられない繊細さである。戦後60年を迎え、日本の民主主義はここまで成熟した。日本は、本当に政治家や容疑者の意見、人権を守る世界屈指の先進国へと脱皮したのである。あとはたかが一般国民と皇族の問題だけである。

 長野県は、正義の御旗と人権を振り回した結果、このような施策に至った。愛国心教育を高らかに謳う東京都知事、県民に抑制を求め政治家と容疑者の人権に配慮した長野県知事、2人の施策は、旧弊を打破しつつある点大いに評価するものの、日本における民主主義の水準を示しているということで、何らかの共通項で結ばれているようだ。政策やイデオロギーを白黒で分けず、寛容さや合理性をより重視してもらいたいものだ。それこそが成熟ということなのではないだろうか。

(H16/12/22記)


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