里見哲
東京都教育委員会のメンバーと天皇陛下の会話を巡って、天皇の政治的発言ではないかと問題視している人々がいるのだという。その教育委員は、「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と園遊会で天皇に話しかけたという。これに対し、天皇は、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」とお応えになったことが問題になっているらしい。なぜ、このご発言が政治的発言であり、「国政に関する権能を有しない」という憲法第4条に触れるのだろうか? 細田官房長官は、「宮内庁からは、これまでの政府見解とも一致しており、特定の施策について見解を述べたものではない、との報告を受けている」と述べ、政治的発言にはあたらないと説明している。ということは、政府見解と同じだから政治的発言にはあたらないということなのだろうか? 天皇は、官房長官と同じことを話せばいいのだろうか? そもそも、その教育委員の発言に対して、天皇はどのような発言をすれば政治的発言とは取られないのだろうか。「がんばって下さい」と言えば、教育委員の「斉唱させる」という強制を認める政治的発言となってしまうだろうし、うなずかれたところで同様である。「あ、そう」とでも答える以外の発言を天皇はできないということなのだろうか。 天皇は人間である。現天皇制は、人間としての天皇の権利も保障されているはずである。現在、多数を占める人たちから支持されている天皇制を維持するつもりなら、天皇の人間性にかかわる権利をより強固なものにしなければならないだろう。雅子さま問題しかりである。このような状態では、皇室から離脱したいと考える皇族がやがて多数を占めることになるだろう。 問題は、戦前同様、天皇を政治的に利用しようとしている輩があまりにも多いということではないのか。むしろ教育委員の発言がおかしいのであって、その逆ではないだろう。「斉唱させる」という発言は、教育の一面を捉えているのかもしれないが、「教育」というより「上意下達」である。このような人物がいる教育委員会とは、一体何か? そもそもこの人物は、教育委員会のメンバーとして園遊会に呼ばれていたのだろうか。そうだとしたら、それこそ政治的招待ということにならないのだろうか。 一方、都知事も、天皇陛下に靖国神社に参拝していただきたいなどと、逆に天皇を動かそうとしている。身の程知らずとはこのような政治家のことをいうのだろう。都知事であれば、卒業式で「都民の歌」を歌うくらいの発想があってもいいのではないか。これこそ愛郷心の延長にある愛国心の発露である。 現在の天皇制は、天皇を利用しようとする偽愛国者で脅かされているということではないだろうか。もし天皇制と皇族の人間性を尊重できないのであれば、それがどんな優れた制度だとしても、天皇制をいつの日かあきらめなければならないだろう。天皇制を揺るがすのは、天皇を政治的に利用しようとし、「愛国心」を強制する人々の存在である。 |