マクロ経済学より難しい国民年金制度

里見哲

 「将来泣いてもいいわけ?」というどぎついコピーで、話題となった国民年金のポスターは傑作だった。結局このポスターで泣いたのは、モデルとなった女優と、その件に対して「ちょっと間抜けだ」といい、さらに「個人情報は開示できない」とのたまった福田官房長官ら閣僚8名と「未収3兄弟」と閣僚を攻撃した菅民主党代表だった。もっとも一番間抜けなのは、社会保険庁の広告担当者と広告代理店なのだが、この辺のことはなぜか代理店名も含め、報道されていないようだ。今ごろ泣いているのだろう。

 次回国民年金勧誘のポスターを作るときには、この8閣僚と菅氏に無料でモデルとなってもらえば、制作費も安く抑えられ一石二鳥である。いっそのこと、「私はこれで官房長官(閣僚、代表)を辞めました」というコピーにしてもいいくらいだ。竹中大臣は、マクロ経済学は、難しく国民の理解をいただきにくい面があると発言していたことがあるが、年金制度は、マクロ経済学以上に難しく、経済学博士でも理解不能ということなのだろう。

 最近は、この手のブラックユーモアを感じさせるニュースが多い。武富士会長が、保釈金を払ったときに、金利を払ってやらなくていいのだろうかと一瞬考えてしまった。さすがの武富士も保釈金用の金利は設定していなかったようである。「武富士保釈金ローン」(議員・経営者割引あり)などという商品をつくれば、かなり売れるのかもしれない。

 国民年金に関して言えば、やはり制度が崩壊しつつあるということだろう。選良である閣僚や国会議員が将来、微々たる国民年金を受給しなければ生活できないとはとうてい思えない。結局当事者としての感覚がないのである。複雑な制度であり、国民は、どうやって保険料を払えばいいのかもなかなか分からない。2年しか遡れない制度でありながら徴収率をあげようと努力しているのもまた笑い話である。社会保険庁とは失業対策で、下らない仕事を職員にやらせているとしか思えない。

 この国の憲法には、全て国民は、健康で文化的な生活を受ける権利があるとされている。年金制度は、より目的に相応しく、国民基礎年金の税金化と受給者選別を明確に行わなければならない時期に来ている。年金制度の崩壊をしりめに、多くの議員が滞納しながら、問題先延ばしの改定案を審議している国会という制度もまた崩壊の危機に瀕しているのでなければいいのだが。道徳の崩壊を憂い、教育基本法改正の議論があるが、議員に対する道徳教育こそが必要である。道徳教育が必要なのは、義務教育においてではなく、生涯教育において求められているに違いない。

(H16/5/5記)


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