☆ ある戦争責任 ☆

里見哲

 北朝鮮に対する風当たりが強くなっている。拉致事件、核開発など、独善的で、国際社会に虚偽を伝えながら反省することがないのだから、当然といえば当然である。北朝鮮に対する強硬姿勢をとるだけで、政治家もある程度名声が得られるような状況だ。

 だが、一部の報道に北朝鮮憎しのあまり情動に訴えるような内容の記事が散見されるのはいかがなものだろうか。情動の訴えるままに政策が進められているようにも見える金政権もなかなか強かなところがある。安易な報道は、逆に北朝鮮の術中にはまる可能性があるのではないかとも危惧される。

 最近、北朝鮮の様子がしばしば報道されるようになってから、気がついたことがある。北朝鮮のテレビのアナウンサーが、絶叫的な言葉遣いで話す内容は、「偉大なる指導者」とか、「将軍様」とか、あるいは国際社会を一方的に非難するものが多い。これは、日本の戦前のニュースを思い出させはしないか。

 「畏れ多くも賢くも」、「天子様」、「国際連盟からの名誉ある脱退」などの言葉と共鳴する。自国の元首に対する自己本位な礼賛と神格化、国際社会に対する独りよがりの態度、規模は全く異なるが、他国民を自国に連行するなど、これは戦前の日本とあまりにも似ているのではないか。大きく違うのは、北朝鮮が、現時点で他国領土に進駐していないことだ。この点は幸いである。

 しかし、現金政権のもつイメージが、これほどまでに戦前の天皇制下の体制に似てしまっているのは、日本の戦争責任が強く問われるということではないのだろうか。この点も日本人は、北朝鮮国民にお詫びする必要があるのではないだろうか。

 そうであれば、保守的なメディアにとって、北朝鮮国民に対して、お詫びをすることこそが、安易に情動に訴える報道をするより、ずっと自分たちの目的達成のためには有効なのではないだろうか。幸い我が国には、世界に誇れる自虐史観とさえ言われる立派な史観がある。日本に誇りをもっているのなら、北朝鮮国民に次のように告げるべきだ。

 「皆さん許して欲しい。金政権は、あまりにも戦前の日本の体質に似ている。金政権のような独善的で無責任な政権がある限り、日本の戦争責任を決して忘れません」と。

(H16/3/1記)


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