☆ あまりにも下らない入試センター「世界史B」試験 ☆

里見哲

 2年ほど前、中学歴史教科書を巡る論争があった。結局新しい歴史教科書を作る会の教科書はほとんど採用されずそのままうやむやになってしまった感が強いが、両陣営とも歴史教育の重要性ということではどうやら一致していたようである。

 一方、最近学力低下が世間を騒がしている。高校で生物を履修していなかった医学部学生、物理を履修していなかった工学部学生もいるという。国立大学の多くは、5教科7科目の試験を課し、新入生の学力低下を防ごうとしているという。

 だが、高校生と大学生新入生の学力低下を防ぐために、入試センター試験に頼るのは筋違いであろう。すべてを競争試験に包含して解決しようというところに矛盾が生じる。本来、高校生として望ましい学力を備えることと、各大学が定員まで絞りこむ競争試験を行うことは別次元の話である。更に言えば、入学を認めた新入生の学力不足を云々する大学当局者は、あまりにも無責任であり、入学を許可した学生には責任を持って指導すればいいだけのことで、学力が低い学生を指導できないなら入学試験で落せばいいだけである。問題は、学生が無能なのではなく、教育関係者の無能にある。

 その一例が、入試センターの歴史の試験である。これは、歴史ではなくクイズと言ったほうがいい。クイズ好きの知的好奇心に富んだ高校生なら問題はないが、このような試験勉強をして歴史に興味をもつ高校生が一体どれだけいるのだろうか。

 世界史の問題では、内輪の目を意識してか最近話題の内容を意識して体裁のいいものにしようとしているところは非常に愚かしい。ナショナリズムで、なぜ、農民政党ブルシェンシャフトなどという知る必要もない細部を問うのだろうか。フィリピンでは、第2次世界大戦中に抗日運動が起こったなどという設問は、いずれにしろ起こらなかったという証明は不可能であり、正しいという選択肢以外ありうるのだろうか。20世紀初頭の芸術家の国籍を問うより、古典主義やロマン主義の内容や背景を問うことこそ歴史教育に相応しいだろう。こんな試験ならやらないほうがましなのではないだろうか。

 この歴史問題を見る限り、憂慮するべきは、高校生の学力以上に、教育行政と教師側の崩壊なのではないだろうか。この歴史問題を作った教師の顔がみたいものである。

(H16/1/21記)


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