☆ 21世紀の甲申はいかに ☆

里見哲

 甲申の年が始まった。120年前の1884年、当時の漢城で甲申事変が起こっている。その10年前1874年は台湾出兵、10年後の1894年は、日清戦争、1904年は日露戦争、1914年は第一次世界大戦と10年おきに戦争が続いている。帝国主義時代という枠組み、アジア地区における華夷秩序と近代国家体制の軋み、ロシアの南下政策のもと、半植民地化を防ぐためにそのいくつかの戦争は不可避のものであり、無意味であったといいきることは難しいであろう。

 しかし、韓国と北朝鮮の分断、台湾と中国の緊張、靖国神社、歴史教科書問題、さらには最近の中国脅威論とナショナリズムを訴える声の増加などをみると、過去の清算は、いまだ終っていないという感が強い。早くも元旦に首相が靖国参拝をしている。
 新しい教科書を作る会と、その反対勢力の論争は、平行線をたどり、有意義な論争とはならなかった。ひとつひとつの時代の戦争に対する評価を行い共通の基盤で論争するといったことも起こらなかった。冒頭であげた事変や戦争が、それぞれの国でどのような意味を持ち、どのような選択が可能であったかを論じる方が、不毛なイデオロギー論争をするよりずっと意味のあることだろう。

 台湾出兵の前年、日清修好条規が批准されている。日本が始めて締結した両国平等の条約は、欧米諸国から、攻守同盟ではないかとの指摘を受けた。欧米の近代国家の枠組みとアジアの華夷秩序の葛藤をソフトランディングさせることのできる要素を日清修好条規は有していたのではないかと思われる。近代国際法を生齧りにして台湾出兵を強行した日本政府と、頑なに旧体制の維持を図った清国政府により、そのチャンスは失われた。
 日中間の緊張に加え、日露戦争後は、黄禍論が台頭、さらには、米国における日系移民排斥により日本は孤立する。この黄禍論、日系移民排斥も不幸な歴史の誘因になっている面も見落としてはならないだろう。

 新しい世紀の甲申の年、異質の文化の国、生長著しい国を必要以上に恐れ、嫌悪していては、同じ歴史をたどるだけである。新年を迎え、日本公使館が後押ししたクーデターである甲申事変と、その2年前に逆に日本公使館が襲撃された壬申事変の復習をするのも無駄ではないだろう。21世紀は決して暗い面だけではなく、過去から真摯に学べば、多くの希望をもたらすだろう。英霊の死を無駄にしないとは、そういう意味だろう。 

(H16/1/1記)


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