☆ 国旗損壊罪 ☆

井出薫

 国旗損壊罪の制定に向けて議論が進められている。だが、法律を作る意義が分からない。外国国旗の損壊が罰せられるのに日本国旗の損壊が罪にならないのはおかしいというのが推進派の論理だ。しかし、外交上の問題となる外国国旗の損壊と日本国内の問題に過ぎない日本国旗の損壊とでは影響範囲が全く異なる。各地で過激派が国旗を燃やし火災など様々な被害がでているというのであれば、あるいはこのような法律で過激派を取り締まることに意義があるかもしれない。しかし、現在、そのような事件は起きていない。しかも過激派などの暴力的行為は他の法律で罰することができる。むしろ、法制化されれば、抗議の意味で国旗を燃やしたり泥の上で踏みつけ廃棄したりする者が多数出てくる恐れがある。

 ベンサムは法は自由の侵害になるから、法を制定することが正当化されるのは全体の利益を増進するときだけだと論じた。ベンサムの思想は極端で、自由を拡大するために法を作る必要が生じることもある。LGBT関連法や同性婚を認める法律などがそれに当たる。とは言え、法が一般的に市民の行為を制約する側面があることは否めない。それゆえ、ベンサムが主張するように、国旗損壊罪の新設が市民の利益に繋がるときだけに同罪が正当化されると考えるべきだろう。

 しかしながら、国旗損壊罪で市民生活が改善されるとは想定しがたい。映像表現で国旗を燃やすという場面が出てくることはある。日本国旗は戦前の侵略行為や軍国主義の象徴だとする意見の持ち主もいる。そういう者は国家の政策を批判するために、他人に迷惑を掛けない範囲で国旗を踏みつけたり破いたりする行動をとることが想定されうる。そして、それを犯罪行為とすることは表現の自由の侵害であり同意できない。

 推進派も法制化するうえで、思想良心の自由、表現の自由には十分に配慮するとしている。しかし、それではなぜ新たに国旗損壊罪を設ける必要があるのか理解できない。推進派の頭にあるのは「日本人は戦後民主教育の影響で愛国心を失っている。国旗国歌を尊重する愛国心を取り戻す必要がある」という旧態依然の右翼思想でしかないと考えざるを得ない。

 メジャーや五輪、サッカーワールドカップでの日本選手の活躍に多くの日本人が喝采を送っている。日本人がノーベル賞を受賞すると多くの日本人が喜び日本人であることに誇りを感じる。日本人に愛国心がないなどという考えは正しくない。ただ、右翼や保守タカ派と呼ばれるような人たちが考える愛国心と現代の日本人の振る舞いに乖離があるに過ぎない。そして、右翼や保守タカ派の思想には彼と彼女たちがそれを意識しているか否かにかかわらず、戦後の民主主義を低評価し戦前を再評価しようという意図が隠されている。戦前をすべて否定するのは確かに正しくないかもしれない。助け合いの精神などでは戦前の方がよかった面もあるだろう。しかし、自民党を支持する者も含めて大多数の日本人は戦後の平和で民主的な日本を評価し戦争が当たり前だった戦前の日本への回帰を望んでいない。それを考えれば右翼や保守タカ派の思想は時代錯誤と言わなくてはならない。

 ことさら日本国旗を損壊しようとする者がほとんどいない現代の日本において、国旗損壊罪が制定されても実害は少ないだろう。しかし一方で益もない。無益な法は作るべきではない。


(2026/5/13記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.