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井出薫
減税や社会保険料引き下げが参院選の争点となっている。だが、肝心な税と社会保障の意義に関する議論が欠けている。 社会には様々な人がいる。裕福な家庭に生まれた者と貧しい家庭に生まれた者、独身者と既婚者、介護など支援が必要な家族がいる者といない者、健常者と障碍者、勉強が得意な者と苦手な者、芸術やスポーツで卓越した才能を持つ者と凡庸な者、人さまざまだ。さらに人生には自分ではどうしようもない運不運が付き纏う。だから、どうしても、貧富の格差、生活環境の格差が生じる。格差を完全になくすことはできないし、格差が全くないと努力するインセンティブがなくなり皆が怠けてしまう恐れがある。しかし、格差には許容できる範囲がある。毎日豪勢な食事をし豪華客船で世界一周旅行を楽しむ者がいる一方で、飢死する者や生きるために犯罪に手を染めたり身体を売ったりすることを余儀なくされている者がいるような社会は許容できない。かつては世界中でそのような時代があった。今の日本はそこまで格差は酷くはない。しかし、それでも格差は小さいとは言えず、しかも拡大傾向にある。現場で懸命に働くエッセンシャルワーカーや非正規雇用の労働者が年収5百万未満で暮らしている一方で、働かずに資産運用だけで1億を超える収入を得ている者がいる。資産のないシングルマザーや老々介護の高齢者世帯などは経済的にも精神的にも困窮している。 経済格差による不幸を解消し、誰もが安心して健康で文化的な最低限の暮らしができるようにするために、税と社会保障がある。だから、経済的に余裕のある者が多くの税金や社会保険料を納付し、国家と地方自治体の行政活動に掛かる費用を賄うとともに困窮している者を支援する。それが税と社会保障の本旨だ。人間はどんなに強い者でも賢い者でも一人では生きていけない。世界一の資産家でも世界一の天才でも何もない無人島に漂流したらたちまちのうちに餓死する。人間という動物は単独では自然界で最も弱い存在で、生きていくには共同体を安定的に維持することが欠かせない。そのためには、互いに協力し、富める者がより多くを提供し、強い者がより多くの責務を担う必要がある。それにより皆が安心して暮らすことができ共同体は安定する。共同体が安定することで初めて、賢い者や強い者は称賛され富や地位を得ることができる。また賢い者も強い者も病気や老化でいずれは弱くなり助けてもらう側になる。 ところが、近年、税と社会保障の本旨を忘れ、払った税金や社会保険料が自分のところに還元されないと不平をもらす者が増えている。年収が3百万(時給1500円程度)未満の者がただでさえ少ない収入から税や社会保険料を徴収されるのに不満を持つのは当然で格差の是正という観点からも年収3百万未満の者には税や社会保険料を免除すべきだと考える。しかし税や社会保険料は市場での商品の購入とは異なり、払った分の対価が返ってくるものではなく、寄付に近い性質のものであることを忘れてはならない。 適正な税率、保険料率を定めるのは容易ではない。80年代以降の新自由主義の台頭、グローバル化の進展で、総じて大企業や大資産家、高所得者層に有利、中間層と所得の低い層に不利な改正がなされてきた。それに対して中間層や所得の低い層が不満や政治不信を抱くのは当然で、その声に政治は応える義務がある。但し、税と社会保障の本旨を十分に考慮し国民との真摯な対話を通じて改正する必要がある。さもないと新たな社会的不公正が生まれる。 了
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