☆ 経済学者は熟慮と討議を ☆

井出薫

 財政状況の評価と財政政策のあるべき姿については大きく異なる様々な意見が存在し、人々を惑わしている。ある者は日本の巨額の財政赤字、特に対GDP比での国債残高が2倍を超えている現状を危機的状況と考え財源論抜きの減税や財政拡大は許されない、なすべきことはむしろ増税であり歳出の抑制だと主張する。ある者は日本は巨額の対外純資産を保有しており国内にある国有資産を合わせれば資産は巨大であり国債残高の大きさなど問題ではない、日本の課題は低成長にあり、経済成長のために減税や歳出の拡大を行なう必要があると主張する。ある者はそもそも財政赤字など問題ではなくインフレ率と(雇用率など)景気の指標を見ながら財政政策を適切に立案実行すればよいと主張する。景気対策についても、金融緩和を重視する者、財政政策(歳出拡大)を重視する者、減税による消費刺激を重視する者、規制撤廃など構造改革を重視する者、これらすべてを同時に実施することが不可欠とする者など意見が大きく分かれる。ここまで述べた経済思想や政策はすべて資本主義的市場経済を前提としているが、(今の日本ではほとんど無視されているが)マルクス主義=共産主義を主張する者、市場経済を否定しないが経済格差の解消を最重要課題とし所得の上限と下限の設定を主張する者、脱成長を主張する者もいる。

 政治家、報道関係者、経済学以外の分野の専門家や評論家、哲学者などは経済と経済学の知見に乏しく、自らの思想や信念、体験に固執して適切な判断ができない。企業経営者は経営には長けているが、国家あるいは国際経済レベルで経済を理解し適切な政策を立案する能力はない。だからこそ、経済学者が客観的かつ合理的な評価、政策の提言を行うことが望まれる。ところが、経済学者の見解が定まらず、正反対のことを主張する者がいる。そもそも、ここで述べたような様々な意見や立場が出てくるのも経済学者の意見が大きく分かれていることに起因している。

 経済学は物理学のように実験で理論の妥当性を検証することはできない。経済現象は都度状況が変化し物理現象のような普遍性がない。物理現象は人々の信念に左右されることなく生起するが経済現象は人々の信念に大きく左右される。皆が明日太陽は西から登ると信じても太陽は東から登る。景気が良くなると皆が信じれば消費は拡大し景気はよくなる。経済において人々の信念は極めて重要な役割を果たす。それゆえ経済学者の意見が大きく分かれるのも無理がない面がある。物理学と異なり経済学は科学ではないと論じる経済学者もいる。だが、それでも個人や企業、政府の行動には一定の規則性があり、それを観察し理論的なモデルを立て、現実と突合することで(完璧を期すことは不可能だが)経済学者は国や企業、一般市民に有意義な助言ができる。ところが現実には、多くの経済学者が自説に固執し、意見を異にする者の声に耳を傾けようとしない。意見を異にする者の批判に終始する者や数学的なモデル作りに熱中して現実が視野に入らない者が少なからずいる。だから、意見が拡散するばかりで収斂しない。その結果、政治家、報道関係者、評論家、一般市民が好き勝手なことを言い、経済政策もブレまくることになる。それを解消できるのは経済学者しかいない。そのためにも経済学者は自説に拘ることなく現実を直視し、熟慮し、意見の違いを超えて真摯に討議することが強く求められる。


(2025/6/8記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.