☆ 衆院解散 ☆

井出薫

 10月9日に衆院を解散し、27日に投票を行うことが決まった。石破首相は自民党総裁選では早期の衆院解散総選挙を主張する小泉を批判し衆院選を急ぐべきではないと述べていた。ところが蓋を開けてみると小泉の主張通りに早期解散を断行することになった。おそらく早期解散を求める自民党の有力者たちの意見をのんだ結果だろう。

 早期衆院解散の大義は、国民に新政権の信任を速やかに問う必要があるというものだが、実際は「少しでも早く選挙をした方が自民党にとって有利」、「遅くなればなるほど不利になる恐れがある」という思惑によるものであることは明らかだ。石破政権がどのような政策を取るのか、その政策が国民のためになるのか、政策が実現可能なのか、など国民が石破政権を評価する材料がほとんど何もない段階で信任投票などと言っても何ら説得力がない。詭弁に過ぎない。

 マスコミは「解散は首相の専権事項」と自明の理であるかのごとく報じるが、憲法のどこにも首相の解散権は明記されていない。憲法7条の天皇の国事行為に衆院解散が含まれ、天皇の国事行為が内閣の助言と承認によるものであることから、間接的に内閣に解散権が認められているに過ぎない。内閣の意思決定は閣議によるが閣議は全員一致を原則とするそれは憲法66条第3項に「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ」とあり、閣内が一致している必要があるからだ。それゆえ閣僚が反対したら首相は解散できない。ところが首相は憲法第68条第2項により任意の時点で閣僚を罷免することができるから解散反対を主張する閣僚を罷免することで自らの解散の意思を閣議決定することができる。だから首相には解散権があるということになる。だが、現実には党内の大勢が解散反対であれば解散は容易ではない。海部、菅などは自らの政策を貫くために解散を模索したが党内の反発で断念し退任している。首相が自由自在にいつでも解散できるわけではない。

 そして何より大切なことは、首相に解散権が認められるにしても、解散には民主主義的正当性が欠かせないということだ。首相や首相を支える与党の都合だけで解散することなど許されない。「今やれば勝てる」で解散することが許されるとしたら、ヒトラーのような人物が首相になったらどうなるだろう。野党や与党内の批判派の不祥事を捏造し、彼と彼女たちへの世論の批判が高まったときを見計らって解散し、野党と与党内の批判派を議会から排除することが可能になる。もちろん、ヒトラーの時代と今とでは社会環境が大きく異なり、石破や自民党がそのようなことを行うとは思っていないし、そのようなことを遣ろとすれば墓穴を掘るだけに終わる。だが、首相や与党の都合だけで衆院解散総選挙の日程が決まるなどということがこの先も続くようであれば、民主主義を歪める恐れが大いにあることは間違いない。衆院解散は次のような国民に審判を仰ぐことが欠かせない場合にのみ許される。与党が分裂して少数政党乱立状態になっている、政権の枠組みが変わる(たとえば自公連立政権から自維連立政権へと変わる)、議会の対立が激化し予算案や国民生活に欠かせない重要法案が成立しない、与党が基本政策を抜本的に見直す(たとえば、現実にはあり得ないだろうが、自民党が日米安保の解消を宣言するなど)、こういう場合は首相による解散は理に適った解散になる。

 問題は自民党にだけあるのではない。こういう現状を批判的に論じることをしないマスコミにも大いに問題がある。解説委員などという肩書を持つ者が平然と「衆院選挙は首相が勝てると思う時にやるもの」と語ることがあるが聞いて呆れる。「首相は常に衆院解散を念頭においているが、党利党略の解散は行うべきではない」と論じるのが真のジャーナリストだ。

 同じことは多分に国民にも言える。現状を漠然と黙認している国民が多いように思えるが、党利党略での解散総選挙は許されないという意識を持つことが望まれる。筆者は野党の支持者だが、もし支持する政党が政権を取っても党利党略で衆院解散総選挙をするのであれば、その党や候補者には少なくともその選挙では投票しない。もちろん「そんなことを言っても、野党は信用できず期待もできない。自民党に悪い面があることは分かっているが、野党政権ができるよりはましだ」と考える者が少なくないことは知っている。だが、そういう者でも、当選する可能性が低いと予想される非自民の候補者に投票するなどして自民票を減らすことで間接的に自民党批判をすることはできる。選挙で投票するだけで政治を変えることはできないのは事実だが、民主主義社会である以上、最終的には国民の意思が政治を決めるし、そうあるべきなのだ。

 今回の解散総選挙はすでに決まったことなので仕方ない。しかし、自民党の政治家は無制約の解散権など誰にも存在しないことを認識し、マスコミは首相や与党の党利党略の解散を批判的に評論し、国民は党利党略に走る政党に対して懐疑精神、批判精神をもって対峙することが強く望まれる。それが民主主義を実りあるものにする。


(2024/10/2記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.