☆ 期待 ☆

井出薫

 岸田首相の支持率が尋常でなく低い。統一教会問題が尾を引き、パーティー券問題が影響していることは間違いないが、この低さはそれだけでは説明が付かない。岸田首相本人もなぜこんなに支持率が低いのか首を傾げているだろう。それが自派閥の会計責任者が有罪になったのに首相の座にしがみついている理由かもしれない。だが、岸田首相の支持率が低いことにははっきりした理由がある。人々の期待を集めることができないからだ。

 行動の選択に最も大きな影響を与えるのは「事実」だ。だが、時には「期待」が「事実」を上回り、人々は事実ではなく期待で行動する。特に経済では株価や為替がその最たるものだが、期待が状況を支配する。政治にも多分に同じことが言える。先日の都知事選で石丸伸二が大健闘したのも選挙民の期待を集めることに成功したからだ。石丸に明確なビジョンや具体的な政策があったわけではなく、政治思想は曖昧なままだった。それでも巧みに改革者を演じ大量得票を得た。

 過去の政治家にも同じことが言える。マッカーサー司令官と対等に渡り合い日本を国際社会に復帰させた吉田茂、所得倍増を掲げトランジスタラジオのセールスマンと揶揄されながらも外交の場で日本製品のPRに努めた池田隼人、東大・京大卒のエリート官僚出身者が首相の座を占めていた時代、大学出でなく資産家の子弟でもなかったにも拘わらず首相の座を射止め中国との国交正常化を実現した田中角栄、自民党をぶっ壊すと叫んで守旧派と戦う改革者を演じた小泉純一郎、彼らは人々の期待を集めて高い支持を得た。野党にも期待を集めた者がいた。たとえば狭いアパートに暮らし精力的に全国を遊説してまわり労働者や一般庶民から広く愛された元社会党委員長、浅沼稲次郎が挙げられる。残念ながら浅沼は60年、演説中に右翼青年に刺殺された。あの事件がなければ社会党が政権を取ることがあったかもしれない。たとえそうでなくとも今の哀れな社民党の姿はなかっただろう。経済だけではなく政治でも期待が重要なのだ。

 岸田首相は「人の話をよく聞く」ことが自分の特徴だとしたが、ならば学生、派遣労働者、エッセンシャルワーカー、老々介護者やヤングケアラー、一人親世帯など若者、生活に苦労している者たちと積極的にコミュニーションする場を設け耳を傾けるべきだった。だが話しをよく聞いたのは財務省、経済団体幹部、連合の幹部など既得権益を持つ者ばかりだった。だから、人々の期待を集めることができず、問題が生じるとすぐに支持率が急降下した。それでも、期待を集めかけたときはあった。海外との人の往来を厳しく制限しオミクロン株の国内流入を遅らせたときと、ゼレンスキー大統領を電撃訪問したときだ。このときには、岸田首相はなかなか遣ると感じた者が少なくなかっただろう。だが、それだけだった。それ以外は元々カリスマ性が乏しいこともあり人々の期待を集めることはなかった。だから増税メガネなどという有り難くない渾名を付けられた。そして今の低支持率がある。

 もちろん期待を集めればよいということではない。09年、民主党は人々の期待を集めて衆院選で圧勝、政権を獲得した。だが、人々が期待しているものが何か、何をすればよいかをよく考えず行動して、期待はすぐに萎んだ。「最低でも県外移転」と大見得を切った普天間基地の辺野古移転問題では米国に睨まれるとすぐに一転、辺野古移転を容認した。4年間は消費税増税を遣らないと言ったのに政権獲得から1年後には当時の菅首相が増税を検討したいと言い出した。さらに政治主導に拘り東日本大震災と福島原発事故に迅速な措置を取ることができず、党内では小沢派と反小沢派の対立が激化、野田首相は国民と党内の反対を押し切って消費税増税を決めた。こうして、民主党への人々の期待は完全に萎み、民主党は分裂して政権を失った。その影響は今日まで残り、未だに野党各党は支持率の低さに悩まされている。

 長い目で見れば重要なことは「期待」ではなく「事実」だ。期待がファシズムなど良からぬ方向に流れることもある。だが、人々の間に期待が芽生えなければ社会の活力が増すことはない。期待が良い事実を生むこともある。もちろん、何が期待を集めるかを予測することは難しい。筆者は格差と不公平な富の分配の是正と環境問題の解決に期待をするが、他の者は別のものに期待をするだろう。だが、それでも、多くの者が共通してこれならば期待できるという人物や政策は存在する。誰が次の首相になるか、次の衆院選で政権交代は起きるか、予測はできない。だが、どの党の誰が首相になろうと、人々から期待を、それも理に適った期待を集めることが大切で、それが社会の改革に繋がることを認識しておいてもらいたい。


(2024/7/17記)


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