☆ 旧優生保護法、報道の責任 ☆

井出薫

 1948年に制定され96年まで続いた旧優生保護法に基づき不妊手術を強制された被害者たちが損害賠償を求め各地で裁判が行われている。今夏には最高裁での判決が下される予定になっている。

 国会は同法が憲法に違反し精神障碍、知的障碍者たちの人権を著しく損ねたことを認め、19年に救済法を制定、謝罪と賠償金320万円の支払いを決めた。しかし本人の同意なしに不妊手術を行うという非人道的な行為に対して、この賠償額は余りにも少ない。

 もちろん責任はこのような非人道的な法律を制定した国会議員たちにある。当時、先進国でも優生学的措置が行なわれていたこと、一般市民にも精神障碍者や知的障碍者に対する根強い偏見があったこと、同法には人工妊娠中絶の合法化など評価すべき政策も含まれていたこと、などを考慮しても決して許されることではない。強制不妊など、法の下での平等を定めた憲法14条、個人の尊重と生命・自由・幸福追求権を認めた憲法13条に明確に違反する。幾ら戦後の混乱期だったとはいえ、このような法律が成立したこと自体が信じがたい。

 だが、非は議員だけではなく、これを長きに亘って事実上黙認してきた報道にもある。どうして、この非人道的かつ違憲の法律を批判し、被害者の実態を調査し世に伝え法の改正あるいは廃止を訴えなかったのか。法の内容と被害実態を知らなかったというのであれば、報道に携わる者として著しい怠慢で報道を名乗る資格はない。また分かっていて黙認していたのであれば共犯者であり真摯に反省し謝罪しなくてはならない。

 報道は国民の知る権利と民主主義を守るという大義名分のもとに、様々な場所で一般市民には得られない特権が認められている。政治家や官僚は一般市民以上に、企業は顧客以上に報道関係者には気を使い様々な便宜を図る。記者が社長を取材したいと言えば取材の場を設定する。バブル崩壊以前は広報担当が記者を接待することが当たり前に行われていた。そこには不都合な事実を報道されることを防ぎ世論を自分たちの都合がよい方向に誘導するという目論見があった。そして、報道はそれに乗っかって真実を国民に伝えるという役目を疎かにした。

 いずれにしろ、48年間もの間、旧優生保護法が存続し被害者の救済が滞ってきたことに対して報道は不作為の罪がある。そして、皮相的な取材しかせず、政治家や官僚、企業などと慣れあうという報道の姿勢は今でも大して変わっていない。これでは民主主義や人権を健全に維持することはできない。報道関係者には本事案を大いに反省し自らの使命を再認識してもらいたい。


(2024/6/2記)


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