井出薫
筆者が暮らす市では、先月末に市長が衆議院選挙に立候補するために辞任した。これに伴い後任の市長を選ぶ選挙が12月24日にある。 告示日は17日、投票日が24日、選挙運動期間はわずか7日だ。果たして、この短期間に候補者は自らの政策、思想、経歴などをしっかりと市民に訴え、支持を得るための活動を行うことができるだろうか。有権者の側からすると、候補者に関する十分な情報を得て熟慮したうえで投票することができるだろうか。どちらもできるとは思えない。 筆者のように現役を退いた者は比較的時間に余裕があるから、ネット、市議や商店街の知人などからある程度の情報を得ることはできる。だが、それでも、現時点(12日)では、立候補を表明している者が誰であるかくらいしか情報がない。選挙期間中には街頭演説などで人となりを知ることができる可能性はあるが、全候補者の演説をすべて聞くことは難しい。一方、現役世代は、その多くが職場は市外に在り、朝早く出かけ、夕方すぎてから帰宅する。だから、候補者の情報を得る機会は限られている。現役世代の知人には、選挙があることすら知らなかった者がいる。選挙期間中も休日は、告示日の日曜日と投票前日の土曜日しかない。土曜には仕事がある者もいるから、その場合、休日は告示日しかない。年末ということもあり告示日には外出する者も多いだろう。そうなると候補者の情報を集める機会はゼロに等しい。専業主婦が多かった時代ならば、主婦が情報を集めて家族に伝えることもできただろうが、今は違う。昼は誰もいない家庭が多いのだ。 選挙ではいつも投票率が低いことが問題となる。特に地方選は低い。今回の市長選でも投票日が年末で多忙な時期と重なっており、投票率の低下が懸念される。投票は民主主義国の国民の重要な権利であり、また日本では法的に義務付けられてはいないとはいえ病気などやむを得ない事情がある場合以外は棄権するべきではない。しかしながら、候補者について何も知らない状態で投票するのも無責任だと言える。選挙は、有権者に十分な情報が与えられ、有権者一人一人がその情報を基に熟慮して投票する者を決めるべきものだ。所属団体や知り合いの推薦や紹介に、「はい、はい」と応えて投票するべきものではない。 市長選に限らず総じて選挙運動期間が短すぎる。米国大統領選のように一年も掛けるのは政治の空白を生み、また莫大な資金を要するため問題だが、有権者に情報が行き渡る余裕もない短期間の選挙運動期間もまた大きな問題で、ともに、民主主義を形骸化させることになる。それゆえ選挙運動期間の見直しを強く求めたい。 了
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