井出薫
政治家を希望する者は少なくないが、その仕事は大変だ。報道機関は問題が起きると、たいてい悪いのは政治家と官僚、国民は犠牲者という図式で報道する。野党はもちろん同じスタンスで政府を批判する。学者や評論家も同調して政府や政治家を批判する者が多い。政治家を目指すということは、批判を浴びる存在となることを望むことに等しい。 この世の中の大半のことは、なにが正しいかは分からない。新型コロナ対策で世界はロックダウンや緊急事態宣言を行い感染封じ込めに努めた。だが結果的には1千万を超える者が亡くなった。ロックダウンをしたから被害がこの程度で済んだという意見もあれば、無駄な試みで経済を悪くし格差を広げただけだという批判もある。どちらが正しいかは未だに結論がでていない。いわんや、感染流行の初期段階では先がどうなるかは予想できず、どのような政策が正解かなど誰も分からなかった。そういう中で、政治家は批判を覚悟で決断しなくてはならない。 新型コロナだけではない。ロシアのウクライナ侵攻、北朝鮮の核兵器開発、拉致問題、福島原発事故の後処理、デジタル化、環境問題、少子化対策、社会保障、憲法改正、安全保障など、何が正解か分からない、国民の間でも意見が一致しない問題が山積している。政権政党の政治家は常にそういう状況で判断が迫られる。そして、どのような判断をしても、報道や国民、あるいは諸外国から批判されることが避けられない。菅前首相はワクチン接種の加速など新型コロナ対策で相当の努力をして諸外国と比較すると死者数を少なく抑えた。だが、それでも報道や国民からは五輪開催などで批判を浴び、補欠選で連戦連敗、首相の座を降りざるを得ない状況に追い込まれた。 さらに、正しい意見と世論が支持する意見がしばしば異なるという問題がある。太平洋戦争開戦間際に世論調査をしたら開戦を支持する意見が大勢を占めただろう。それは戦前の日本が民主的な社会ではなく言論の自由が制約されていたからだという者もいる。だが、それは疑わしい。たとえ民主的で言論の自由が広く認められていたとしても、やはり開戦支持が世論の多数派になっていたと考える。当時は西洋列強が広く世界を植民地化していた時代で領土の大幅な縮小を意味するハルノートの要求を呑むことは、政権中枢にある政治家や軍部だけではなく国民も容認できるものではなかったからだ。昭和初期には石橋湛山のように植民地を放棄し国内産業の育成を優先すべきとする小日本主義を唱える者もいた。だが、それが世論の大勢となることはなかった。もし、開戦当時、言論の自由が存在し、街頭演説や出版物、ラジオなどで反戦を訴える政治家がいたとしても、多くの国民の支持を得られたとは考えられない。むしろ、多くの国民から売国・西洋崇拝と批難を浴びた可能性が高い。だが領土を失っても戦争を回避すべきだった。回避すれば310万人もの命が失われることはなかった。中国との関係も今より良いものになっていた。1978年、首相に就任した大平正芳は間接税(いまの消費税)の導入の必要性を国民に訴えた。だが、支持する者は少なく、与党内からも反発が出て、衆院選で大敗した結果、導入を断念せざるを得なかった。筆者も当時、大平首相を弱い者いじめ、資本家と大蔵省(現財務省)の省益を優先する者と批判していたことを思い出す。消費税の導入なしでも、大企業や高額所得者への課税を強化すればよいという意見もあった(当時の筆者の意見でもあった)。それは日本経済が閉鎖経済で外国との交易がないのであれば正しいが、人、物、資本が自由に移動できるグローバル経済の中では、そのような政策は資本の流出を招き経済の低迷をもたらし社会保障や福祉の後退を招く。いま振り返ると大平の主張は正しかった。だが、それが国民から支持されることはなかった。このように正しい意見と国民が支持する意見は往々にして一致しない。むしろ、しばしば世論はおかしな方向に進む。ロシアのウクライナ侵攻は、軍事力抜きで外交努力だけで平和を実現するという理想主義者の思想が少なくとも現時点においては非現実であることを示した。だが、だからと言って直ちに防衛力の大幅増強・防衛費の大幅増額が不可欠という帰結が生じるわけではない。だが、多くの国民がよく考えることなく防衛力増強と防衛費増額を支持した。核共有さらには核保有を主張する者も出てきた。その流れで日本維新の会は支持を増やしたとも言える。確かに防衛力の増強が不可欠であるという意見が間違いだと断定することはできない。だが、検討や議論が十分に尽くされていないし、そもそも国民の多くが、現在の自衛隊の力がどの程度で、何をどう増強すればよいかということについてほとんど何も分かっていない。そういう中で、防衛力増強だけが独り歩きしている。 こういう現実を考慮すると、政治家の仕事が極めて難しいものであることは言うまでもない。何をしても批判されることを覚悟する必要がある。批判されることを覚悟して信念を貫く必要がある。政治家の最大の仕事は問題が起きた時に責任を取るという面白くないものなのだとも言える。だが、それでも二世議員を筆頭に政治家を目指す者は後を絶たない。政治は極めて重要であり、政治家を目指す者が少なくないこと自体はよいことだ。だが、果たして、彼と彼女たちが政治家を取り巻く環境が極めて厳しいものであることを認識しているのか、そこに大いに疑問を感じる。首相在任中、激務に倒れた大平、小渕元首相、暗殺された安部元首相、政治家は常に危険と隣り合わせであることを知ったうえで政治に挑戦する必要がある。 了
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