☆ 30年前 ☆

井出薫

 今から30年前の1993年、日本の携帯電話事業に大きな転機が訪れた。80年代、携帯電話など移動体通信は電気通信市場でマイナーな存在に過ぎなかった。片手で持てる現在の携帯・スマホと異なり、端末はショルダーフォンなど重く嵩張る代物で、通話ができる場所は限られ料金もべらぼうだった。一般市民で所有する者はほとんどなく、持っていたとしても携帯電話ではなくポケベルだった。

 携帯電話の市場規模が小さかったため、85年の通信自由化以降も、移動体事業は一地域二事業者という制限があった。事実、90年代までは、3事業者が共存できる余地はなかった。その結果、全国展開するドコモのほかには、IDOとDDIセルラーで前者が関東甲信・東海、後者が他地域をサービスエリアとするという変則的な事業体制になった。

 それが90年代に入ると、モトローラーがハンディな携帯電話の開発に成功し、欧米などで携帯電話が普及するようになる。それを受けて日本でも93年、一地域二事業者という制限が解消された。その結果、デジタルフォングループとツーカーグループが新規に参入し競争が激化する。同時に料金規制も緩和され、事業者による機動的な料金設定が可能となった。携帯電話が急速に普及することを見越した販売代理店が次々と誕生し、携帯電話の営業に大きな力を発揮した。95年にはPHSが登場し携帯電話の普及を後押しした。さらに、ウィンドウズ95の発売も手伝い90年代後半にはインターネットが爆発的に普及し、携帯電話も単なる音声通話の道具からデータ通信機能を具備するものへと進化した。

 総務省発行の『情報通信白書令和元年版』によると、携帯電話は95年から急増し、2000年にはPHSを含めて固定電話の契約数を超えている。94年の携帯電話の契約数が固定電話の10分の1未満だったことを考えると、いかに急速に普及したかがよく分かる。今では、スマホしか持たず固定電話を持っていない者も増えている。いまやスマホは生活必需品となり、誰もがどこにでも携帯していく存在となった。電車に乗ると、半数以上の乗客がスマホと睨めっこしている。

 わずか30年で、携帯・スマホはインターネットとともに人々の生活に欠かせない存在となった。欠かせないどころか、それに人々は大きく依存している。支配されていると言っても過言ではない。では、30年後はどうなっているだろうか。いま、30年前の携帯とインターネットの位置を占めているのは、AIとVR・AR・MRだろう。スマホとインターネットは様々な問題を抱えてはいるが、私たちの生活の利便性を大いに高めた。だが、スマホやインターネットは強力な存在だったが、精神を支配するところまでは行かなかった。また人間知性を上回るものでもなかった。しかし、AIなどは遥かに強力で人間知性を超え、精神を支配する力を秘めている。技術の進歩は様々な課題を生み出すが、それでも、総じて言えば、社会の改善に貢献してきた。携帯とインターネットもそうだった。だが、AIとVR・AR・MRでも、同じかどうかは分からない。果たして、30年後、社会はよくなっているだろうか。楽観は許されない。産業革命以来、技術はほぼ野放図に進化してきた。それが可能かどうかに疑問が残るが、技術の進化を制御すべき時代が来ている。


(2023/7/23記)


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