☆ 緊急事態条項 ☆

井出薫

 憲法に緊急事態条項を加えるべきだという議論が高まっている。これについてどう考えるべきだろうか。

 緊急事態条項とは、緊急時に国家が一定の範囲で基本的人権の制限を行うことを意味する。これについては四つの立場がある。

 いかなる状況においても、国家が基本的人権を制限することは一切許さないという立場がある。憲法に緊急事態条項を加えることは当然に否定される。しかし、侵略や一方的な軍事攻撃を受けたとき、多数の命を奪う可能性がある強い感染力と高い病原性を持つ病原体による感染症が発生したとき、福島原発を上回る規模の原発事故が発生し都道府県単位あるいはそれを超える広域での避難が必要になったとき、などは人権の一部停止など緊急措置を取らざるを得ないと考えられる。但し、そのような場合でも、国民の自由の権利を最優先し、国民の自由な連帯と協力で難局を乗り切る、国家には一切頼らないという思想は考慮に値する。もし、国民の大多数がそれを支持するのであれば、それでもよい。ただ、これは非現実な理想主義であり、現時点においては広く賛同を得ることはできないと思われる。

 次に、国家は緊急事態時にはいつでも超法規的に基本的人権を制限できるという考えがある。この立場を取れば憲法に緊急事態条項があるか無いかはどちらでもよいことになる。このような思想は立憲主義、民主主義の観点からは認められない。だが、他国から一方的に侵略や軍事攻撃を受け、国内では他国と内通した者がテロを各地で起こすなどという事態が万一発生した場合、国家が強権を発動し自衛隊と警察を動かし、抗戦し、内通者を強制的に拘束することはやむを得ない。さもなければ国は滅び憲法は無力化され日本国民は一切の権利を失う。それゆえ、一般的にはこのような思想は容認されないが、現実的には国民を守るという国家の責務上、このような事態が現実化せざるを得ない状況がありえることは銘記しておく必要がある。新型コロナでの緊急事態宣言などは法的強制力はなかったが、これに近い性質のものだった。

 このような二つの対極的な思想の難点から、緊急事態発生時に国家が国民と国内に暮らす外国人の人権を制限することを、法律で定められ条件、範囲において許容するという考えが出てくる。その場合、緊急事態条項を憲法に明記するか、憲法は変えずに個別の法律だけで制度化するかという問題が起きる。

 憲法に緊急事態条項を追加すれば、様々な事態に対応でき、人権制約に憲法上の根拠が与えられる。だが、国家が権利を濫用し、国民や国内に暮らす外国人の人権が不当に制約される恐れがある。緊急事態条項に反対する者の多くがそれを危惧する。緊急事態の定義、緊急事態宣言の発動の条件、制約する範囲などを事前に綿密に規定することは容易ではない。特に憲法においては、詳細な条件、手続き、範囲までは規定できない。だから、常に拡大解釈され不当な制限がなされる危険性が付き纏う。もし、憲法に追加するのであれば、少なくとも次の三つの条件を明記する必要があると考える。「国会の承認を得ること、事後承認の場合は、緊急事態宣言発動後1か月以内に承認を得ること」、「宣言終了後、措置の妥当性を審査し結果を公表すること」、「緊急事態宣言発動に伴う国民の損害はすべて補償すること」、この三つだ。さらに、関連する法律に条件、手続き、制約の範囲・期間、補償などを具体的かつ詳細に記載することで、国家の恣意を可能な限り制限することが必要となる。

 一方、憲法は変えずに、個別の法律で必要に応じ人権の制約の要件、手続き、範囲と期間、補償などを規定するという考えがある。ただ、この場合、憲法と当該法律の整合性が問題となり、制度が十分に機能しない恐れがある。また、緊急時に適切な対応をとるための法律が存在しないという事態に陥ることもありえる。

 この問題は難しい。筆者は憲法は変えずに法律で対処するという最後の案に賛同する者だが、上で述べたような難点があることは認めないわけにはいかない。国会議員や法の専門家だけではなく広く国民参加の下で議論が進むことを望みたい。


(2023/5/3記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.