井出薫
問いかけに自然な言葉で応えてくれる対話型AIが目覚ましい普及を遂げている。代表格であるオープンAIのチャットGPTは昨年11月下旬の公開から僅か2ヶ月で利用者が1億人を超えた。一方、急速な開発と普及が、社会に悪影響を与える恐れがあると危惧する者が増えている。 チャットGPTは英語で開発されたこともあり、日本語ではいささか不自然な表現がときたま見受けられる。しかし、ほとんどが自然な表現であり、学生が課題のレポートとして、ほんの少し修正すれば提出できるレベルに達している。しかも、知識量は極めて豊富で、様々な分野から選んで質問や議論をしても、理に適った応えが返ってくる。政治、環境、法律、自然科学、工学、哲学、経済学、娯楽、スポーツ、何でもござれだ。もちろん、中には首を傾げたくなる返答もあり、改善の余地があることが知れる。だが、普通の人でこれだけ多方面の知識を持っている者はまずいない。しかも、現在のバージョンは開発中のもので、完成したら、どれだけ凄いものになるのか想像すると、ある意味、恐ろしいものがある。だからこそ、危惧する声があがり、開発と普及のペースを遅らせるべきだという意見も出てくる。 気を付けて対話しないと、知らずうちに、政治的見解、経済状況、家庭環境、住居、趣味・嗜好、そのときの気分などすべてAI側に把握されてしまう。また、こちらが主導権をもって対話しているはずなのに、いつの間にかAI側のペースで話が進む恐れもある。そして、自動学習機能を有するAIは、対話を通じて新しい情報を得て益々賢くなる。囲碁や将棋で人間がAIに勝てなくなったように、議論でもAIに勝てない時代が近い。 対話型AIはIT企業などが経済的な利益を得るために使えるだけではなく、政治団体や宗教団体が支持者や信者を増やすことにも利用できる。対話型AIを提供する組織はネットワーク経由で効率よく人々の行動と思考を支配することができる。もちろん、恐れを抱く者は使わなければよい。だが、周囲の者がみな利用しだせば、無視し続けることは難しい。30年前、携帯電話が普及し始めたとき、筆者は周囲に、業務で必要な場合以外には携帯は絶対に使わないと宣言していた。だが、今ではスマホが手放せない。対話型AIも利便性の高さを考えれば、放置すれば社会の様々な領域に全面的に浸透していく。 もちろん、対話型AIの進歩と普及は人々に多くの利益をもたらす。対話型AIを使って様々な知識や情報を素早く手にすることができる。翻訳・通訳機能が向上して、外国語ができない者でも外国人と自由に会話できるようになる。だが、その一方で、多くの者が自分で考えることを止めてAIに決めてもらうようになる恐れがある。そのときには、AIを巧みに活用する政治組織が政権を握り、宗教組織が多数の信者を得ることになる。自由な個人は、AIの指導に従い行動する見かけだけ自由な個人へと変貌する。やがては、AIを駆使してビジネス界、政界、言論界を支配している側も、自らがAIの支配を受けるようになる。このようなことは半世紀前はSFの世界の御伽噺に過ぎなかった。だが、それがいまや現実になりつつある。これはもはや単なるビジネスやセキュリティの問題ではない。人類史的な問題、人間とはそもそも何か、どうあるべきかという問題になる。専門家に任せるのではなく、政府と一般市民が積極的に関与して、あるべき未来を模索し、慎重に開発、普及を進めていく必要がある。 了
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