☆ 放送と政治的公平 ☆

井出薫

 2015年の高市総務大臣(当時)の放送法に関する答弁を巡って、総務省の内部文書が公開され、放送と政治的公平について国会で論争が起きている。しかしながら、放送番組における政治的公平をどのように考えるかが議論されるべきところが、もっぱら文書の信憑性と今国会における高市発言の是非ばかりが議論の的となり不毛な論争に陥っている。そこで、原点に戻り、放送における政治的公平がどうあるべきかを考えてみる。

 論点は色々あるが、放送に政治的公平が必要か、政治的公平とは何か、公平か否かを誰が判断するべきなのか、政治的公平が欠けていることを理由に停波命令を出すことができるか、という4つの論点について考えてみる。

 放送法第4条第1項に、番組編集にあたって考慮すべき原則が4つ挙げられている。公安と良俗を害しないこと、政治的に公平であること、報道は事実を捻じ曲げないこと、意見対立がある問題についてはできるだけ多角的に論点を明らかにすること、この4点で、政治的公平を除いて特に問題はない。犯罪を助長することは許されないし、報道が捏造を行うことも許されない。市民が(たとえば原発のような)意見対立のある問題を冷静に考察できるように多角的に論点を明らかにすることが望ましいことは言うまでもない。これに対して多数の放送局が存在する現在、政治的公平は不要で、各政党が独自の放送局を開設し、政策や自説を公開、宣伝しても良いという意見がある。だが、すでにインターネットで各政党とも政策や自説を公開しており放送局の開設まで認める必要性は乏しい。また政権政党の方が広告宣伝費を集めやすく結果的に政権政党に有利になる可能性もある。さらに、人はもっぱら自分が気に入る情報源から情報を得る傾向があることから、社会の分断を広げる恐れがある。これらの点から放送において政治的公平を求めることは適切だと考える。

 政治的公平とは何か。一般的に中立性を意味し、各政党や政治団体、その支持者と批判者の意見や活動を漏れなく平等に伝えることが公平の要件とされる。だが、常にそれが正しいとは言えない。政府や政権政党が権力を乱用し、その政策が国民の権利を奪うあるいは生活を脅かしていると判断される場合には、政府や政権政党への批判を中心に番組を編集することは許される。また民主、人権、平和という憲法の3原則を全面的に否定する政党や政治団体に対しては批判的に論じることが許される。あらゆる政党や政治団体を常に平等に扱う必要はない。各放送事業者が自らの信念と良心に基づき、国民の権利と生活を守るために政党や政治団体の扱いに濃淡をつけることは政治的公平の許容範囲と判断される。むしろ、それこそが放送の使命とも言える。しかしながら、選挙期間中、特定の政党や候補者を勝たせることを目的に、当該政党や候補者の活動と意見だけを報じるのは公平性に欠く行為と言わなくてはならない。自らの信念を持つことは良いが、策を弄して国民を誘導しようとすることは厳に慎まなくてはならない。ただし、その場合でも、一つの番組だけを取り上げて不正と判断することは認められない。それは憲法が禁じる検閲に近いものになる。公平か否かの判断は、個々の番組ではなく当該放送事業者の番組全体を考慮したうえで行う必要がある。高市総務大臣(当時)は一つの番組単位で公平性を判断できると答弁したが同意する訳にはいかない。

 政治的公平の判断は誰が行うべきなのか。それは表現の自由、報道の自由に関わることであり、政府が独断的に行うことは避ける必要がある。放送事業の監督官庁である総務省は、行政法上は、法的拘束力のない行政指導ならばいつでもできる。だが、放送番組の内容に関する指導は、たとえ法的拘束力がないとしても、公権力による表現の自由、報道の自由への圧力になるから不適切と言わなくてはならない。放送法では、各事業者に番組の適正性を審議する有識者等からなる機関を設けることが義務付けられている。実際、各放送事業者は審議機関を設けている。政府として公平性に問題があると判断した場合でも、直接指導を行うのではなく、これらの審議機関など政府から独立した第三者機関へ申し入れを行い、その事実を公表するという形をとるべきと考える。

 最後に、政治的公平を欠くと判断されたとき電波法第76条に基づき放送事業者の電波を止めることができるかという問題を考えてみる。高市総務大臣(当時)は出来ると答えた。だが、これは認められない。放送法第3条には、「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」とあり、第6条では、放送の適正化のために各放送事業者が審議機関を設けることが定められている。これらの条項から、第4条第1項の規定は放送事業者が自主的に遵守すべき倫理規定であると判定される。それゆえ、その違反を理由に政府が電波を止める=放送を禁止することは表現の自由、報道の自由を侵害することであり許されない。ただ、他国から侵略を受け侵略者又は侵略者と内通する者、あるいは暴力的な手段で独裁体制を樹立しようする者が放送局を乗っ取る、などという事態が起きたとき、最終手段として無線装置や空中線を破壊し電波停止を行うということは想定されうる。だが、それは緊急事態にどう対処するかという問題であり、放送法の範囲を遥かに超え、同法の解釈論とは次元が違う。

 政治的公平性は遵守されるべきであるが、絶対的な法的規範ではなく、また遵守されているかどうかの判断は政府がするべきことではなく、放送事業者自身が良心に従って判断するか、審議機関又は視聴者である国民の意見に基づき判断されるべきと考えられる。況や、それを盾に電波を止めるなどという措置は許されない。もし、停波命令を発出した場合でも、司法が正常に機能している限りは、行政訴訟法による差し止め請求が認められ命令が破棄されると考える。


(2023/3/25記)


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