井出薫
金持ちはよくこう言う。「絶え間ない努力と才能でお金を稼いだ。それに高い税金を課すのは不公平だ。そんなことを続けていたら、誰も努力しなくなる」。このような言葉はよく耳にするし、それを支持する経済学者や政治家も少なくない。だが、これは二つの点で間違っている。 まず、努力しているのに収入が少ない者は決して少なくない。いや、むしろそういう者の方が多い。また、家族の介護や保育のために十分に働くことも、より良い収入を得るための資格取得やスキル向上のための学習に割ける時間がない者もたくさんいる。その中には金持ちと同等あるいはそれ以上の才能の持ち主がいるだろう。才能があり努力もしているが、運がなく貧しい生活に甘んじなくてはならない者もいる。金持ちになるには運が極めて重要であることを多くの金持ちが忘れている。たとえばサッカー界のスーパースター、メッシやエムバペなどは年収が日本円で100億円を超える。米国で一番人気のアメリカンフットボール、二番人気のバスケットボールと野球のスーパースターたちの年収も50億円を超える。他にもテニス、ゴルフなどの人気スポーツでは、スターたちの年収は軒並み、平均的な労働者の収入の千年分に相当する。だが、これは、サッカー、アメリカンフットボール、バスケットボール、野球、テニス、ゴルフなどが人気が高くビッグビジネスとして成立するからに他ならない。もし、これらのスポーツが人気がなくビジネスとして成り立たなければ、彼と彼女たちは普通の労働者として一生を過ごすことになる。また、戦争などが起きてスポーツイベントどころではなくなれば、やはり稼げなくなる。ビジネス界でも事情は変わらない。ベンチャー企業の創業者で兆を超える資産家は確かに有能で、努力をして、大きなリスクを引き受けてきた。だが、成功はもっぱら努力と才能によるものではない。投資した分野が急成長した、時流に乗り発売した商品が大ヒットした、周囲に良き理解者や優秀な協力者がいた、行政から多大な支援が受けられた、など運が良かった面が必ずある。努力と才能を理由にして、高い税金を非難し拒否することは正しいことではない。 もう一つ忘れてはならないことがある。金持ちが金持ちたりえるのは何故なのか。それは収入が少ない多数の人たちが、法律を守り公序良俗に従い真面目に働き家族を養い、税金を納めることで社会秩序を維持し、誰もが平穏に暮らせるように努めているからだ。そして、そういう環境にあるからこそ、金持ちは金を稼ぎ、蓄財することができる。もし税金がゼロで、その代わり警察も裁判所もなく、街には貧困と飢餓に苦しみ、生きるために凶悪犯罪に手を染めることを厭わない者たちが溢れていたらどうだろう。金持ちは命と財産を守るために、その財産の大半を費やして私設警察を設け城壁の中で身を縮めて生きていくしかない。それでも、私設警察の中に裏切り者がいて命と財産を奪われる危険性がある。相続をめぐって醜い争いに襲われる危険性もある。革命が起きて財産をすべて没収された上に拘束される可能性もある。要するに、金持ちが安心して金持ちでいられるためには、無数の無名の人たちが法を守り真面目に働き社会秩序を維持していることが欠かせない。高い税金を払っているのに見返りがないと不満を漏らす金持ちがいるが、それはこの事実を理解していない。金持ちは、高い税金を払うことで、莫大な富を得ることができる環境を手にしている。 年収100億円の者が95億円税金や社会保険料で徴収されたとしたら、確かに文句を言いたくなるだろう。だがそれでも手取りで5億円残る。5億円あれば、しかもそれが毎年同程度の手取りが得られるのであれば、普通の市民の何十倍もリッチな生活ができる。そして、それが可能となるのが、真面目で平和な市民たちの存在なのだ。そして、そういう環境を作るためには税金が欠かせない。100億円が自分の正当な取り分だと考えるから、自分の稼いだ金から95億円ものお金が奪い取られるという発想が出てくる。だが、5億円稼ぐために、必要な経費95億円を払っていると理解すれば、それは納得できるはずだ(注)。売上100億円、純利益が5億円という企業がある、それと同じと考えればよい。だから、高い税金に文句を言うのではなく、行政がその税金を正しい目的に適切に使っているかどうかを監視すればよい。そして不正な使い方がなされている場合は、大いに抗議し、場合によっては海外に移住することで税金を払うことを拒否すればよい。 (注)ただし、100億円の年収を売るために、税引き前に、必要経費として90億円支出している者にたいしては、課税対象は10億円とするべきで、事実、現行の税制でもそうなっている。 いずれにしろ、社会が平和で安定していることが、金持ちにとって最大の利益であること、真面目に働きながらも苦しい生活をしている者、不運や不幸で生活が困窮している者が多数存在するということ、この現実の前では、金持ちは高い税を課せられるのが当然で、それを支払うのは金持ちの義務であると考えてもらいたい。そして、それにより人々が幸福になれば、金持ちもより幸福になれる。 了
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