井出薫
主流派、リフレ派、MMT、様々な学説を支持する経済学者がいる。しかし、いずれの学派でも、経済学者の予測と現実が合わないことが多い。リフレ派は異次元と言われる大規模な量的質的金融緩和とインフレターゲットを導入することで、2年で2%のインフレと景気回復、力強い経済成長が実現すると予言した。だが、予言は的中せず、10年経っても力強い経済成長は実現していない。今年に入って、エネルギー資源など輸入品の価格高騰でインフレが実現したが、景気は回復しておらず大規模な金融緩和が続いている。一部のリフレ派経済学者は原因を問われて、消費税を上げたからだと言う。では、本当に消費税増税をしなければ力強い経済成長が実現していたのだろうか。もしそうならば今からでも遅くはない、消費税減税をすればよいのではないか。だが、それくらいのことで力強い経済成長が実現するとは想像しがたい。 MMTは決してトンデモ理論ではなく、ポストケインジアンの流れを汲む正当な理論だと言ってよい。だが、現実の経済政策としてそれが採用できるかというと怪しい。安倍元首相はMMTにかなり好意的だったと思うが、それを採用するところまではいかなかった。財務官僚やそれを支持する財政重視の経済学者の異論を抑えて、それを実行し成功する自信がなかったのだろう。世界を見ても、MMT論者の提言を実践している国は今のところない。 経済学は経済現象を理解するうえで極めて役に立つ。だが、経済政策を提唱する経済学者には不満がある。現実と抽象的な理論的モデルの差異が適切に理解されていないと思われるからだ。例えて言えば、「道路に摩擦が存在しない前提で自動車の設計をしている」というような感じなのだ。言うまでもなく、そのような前提で製造された自動車は道路を走ることはできない。 経済は、諸外国の経済状況はもちろんのこと、政治、法、文化、慣習、衛生環境、自然環境など様々な要因に依存する。経済学者は、その複雑な状況を的確に把握できていない。そして把握できていないこと自体を理解できていないように思える。 経済学は社会科学の一分野であり、社会科学は本来一つの学だと考える必要がある。近代経済学の父、アダム・スミスは道徳学者であり、経済学者であり、法学者だった。事実、それぞれの分野で後世に残る著作や講義録を残している。マルクスは経済学者であり、同時に哲学者であり、また社会学者でもあった。資本主義の発展について議論するときには、(正しいか否かは別にして)マックス・ウェーバーを無視することはできない。現代の経済学者は経済学こそが、自然科学における物理学のように、社会科学の基礎だと考えたがる。それは現代経済学だけではなく、マルクス経済学にも共通する。だが、経済学だけでは社会の諸側面の一部しかみることができない。それゆえ、経済政策の立案にあたっては、社会学、政治学、法学、心理学などの知見を参照しながら総合的な研究を遂行する必要がある。ときには倫理学や哲学を援用することも必要になるだろう。もちろん経済政策の検討、策定にあたって、あらゆる分野の専門家を集めることはできない。だが、経済学者だけに任せていては適切な政策は生まれない。また、経済学者には、自分たちの限界を弁え、他の分野の学者に知恵を借りる必要があることを認識してもらいたい。純粋な数理学的経済モデルだけでは未来は予測できない。 了
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