☆ 共助 ☆

井出薫

 自助、共助、公助、この三つはいつの時代においても、どのような社会であろうとも欠かせない。だが、この中で、共助のシステムが衰退している。共助を支える共同体には様々な形態がある。家族、親族、地域のコミュニティ、同窓会、同好会、同期会、互助会、宗教団体、政党団体など規模の小さいものから大きいものまで様々な共同体が共助の土台となっている。この中でも特に、最も身近な家族と地域のコミュニティ、宗教団体が共助の中心的な役割を担ってきた。日本人は無宗教と言われることが多いが、新興宗教の信者たちにとっては、宗教組織とその活動が最大の共助のシステムとなっている。

 しかし、核家族化と少子高齢化の進行で家族と地域のコミュニティという共助のシステムが明らかに衰退している。日本では依然として介護は家族の役目という考えが強いが、老々介護が急増しており、公助が不可欠となっている。老々介護だけではなく、女性の社会進出、シングルマザー、シングルファザーの増加で、育児にも公助が欠かせない。一部の保守派はいまだに家族の存在を過大視し、家族主義的な思想を広めようとしているが、時代錯誤と言わなくてはならない。家族を共助システムの中核に据えるのであれば、大家族制の復活が欠かせないが現実的には極めて難しい。また大家族制には全体を統率する中心が必要で、父親あるいは母親が独裁的な権限を持つ家族形態になりやすい。核家族化が進行した背景には産業構造の変化があるが、家父長的なシステムが時代遅れになったことも大きな要因となっている。いずれにせよ、大家族制の復活を夢見るのは現実的ではない。

 宗教団体の影響力も落ちている。人が生老病死という苦に生きる宿命にある限り、宗教の重要性が失われることはない。だが、自由思想の広がり、産業の拡大、科学と技術の進歩などにより、宗教は徐々に共同体的な存在から個人的な信仰へと移っていく。それに伴い、そのシステムは共助から自助の世界へと変化していく。

 こうして、共助のシステムの核をなす家族と地域のコミュニティ、宗教団体の力は落ちており、これからもその傾向が変わることはない。だが、その一方で、自助と公助だけに頼ることには限界がある。誰もが天才で強運の持ち主であることはできない。どんなに社会が改善され豊かになっても努力が報われない者が必ず多数存在する。病気や事故、自然災害、勤務先の倒産、先天的な障害など、自力ではどうにもできないことがこの世の中には無数にある。当然、自助だけでは平和で豊かな社会は実現できない。自助を超える部分をすべて公助でということも難しい。全て公助となると税負担の増大や行政組織の肥大化は避けられない。また、行政はきめ細やかな支援はできない。同じような家族構成、年齢、収入、資産でも、個々人が抱える悩みや苦労は異なり、行政があらゆる場面で最適な支援を行うことは不可能と言わなくてはならない。

 だからこそ、共助が欠かせない。少子高齢化と財政悪化という現状においては、ますます共助の重要性が増しているとすら言える。だが家族と地域のコミュニティ、宗教団体に頼ることはできない。ではどうするのか。二つのことを提言したい。まず、行政が、悩みを抱える人や支援を必要とする人たちのために働くNPOの活動への支援を大幅に強化する。これにより、活動への参加者を増やし活動を拡大することができる。同時に有益な活動をするNPOのPRを進めることも重要になる。二番目は民間企業が地域密着型の共助システム構築に貢献するように促す仕組みを構築する。ESGの一部として共助システムの構築への貢献を取り込み、また法整備を進め、それが企業にとっても有益であるような環境を整備する。これにより企業の関与が進むことが期待できる。もちろん、言うは易し行うは難し。だが、自助と公助だけでは支援を必要とする人たちを助けることはできない。そして、誰もが支援を必要とする存在になりうることを自覚すれば、共助のシステムに参加する者は環境さえ整えれば大きく増えるはずだ。共助のシステムの拡大は不可欠で、かつ、それは実現可能だと考える。


(2022/10/28記)


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