☆ アベノミクスの分析を ☆

井出薫

 黒田日銀総裁が「家計の値上げ許容度は上がっている。」と発言して批判を受けた。黒田総裁の発言の趣旨は、「値上げが続いても、新型コロナの影響で家計の貯蓄が増えており消費が冷え込む可能性は低い。むしろ、値上げで企業業績は改善し、賃金上昇が期待できる。それは安定的な経済成長の実現に繋がる。」というようなことだろう。確かに、値上げで消費が落ち込まなければ、高度なインフレにならない限り、景気浮揚に繋がる。また、それはデフレマインドに支配されている日本経済の転換をもたらす可能性もある。

 だが、このようなマクロ経済学的な見通しが正しいのかどうかに疑問が残る。そもそもアベノミクスは、異次元の金融緩和と2%のインフレターゲットで、数年で安定成長が実現するというシナリオだった。インフレが予想されれば、消費者は早めに消費しようとする。インフレになれば実質的な金利は下がる。さらに異次元の金融緩和で金利は下がる。企業の投資は活性化し利益も増える。そうなれば、失業率は下がり人手不足になり賃金が上がる。こうして、好循環が生まれて日本経済はデフレを脱却し立ち直る。マクロ経済学的にはそうだろうが、現実はそうではなかった。だから、黒田総裁の見通しも外れる可能性が高い。

 問題は、アベノミクスのシナリオが実現しなかった理由は何かということに対する分析が不十分なことだ。「アベノミクスは雇用を増やし、企業業績を良くし、株価を上げた、だから成功だった」対「格差を拡大しただけで経済は立ち直らず失敗だった」という政治論争ばかりが先に立ち、マクロ経済学的にはデフレを解消し経済立て直しができるはずだったのに、なぜそうならなかったのかという疑問に対する答えがでていない。「財政出動が不十分だった」、「消費税増税が足を引っ張った」、「規制緩和が不十分で、雇用の流動化が実現していないからだ」などの意見があるが、いずれも感覚的な議論に留まり説得力に欠ける。だから「では、どうすればよいのか」という問いに誰も答えられない。岸田首相の「新しい資本主義」、「消費と分配の好循環」というスローガンも、この根本的な問いに答えられていない。

 アベノミクスは、大規模な金融緩和による金利の引き下げとインフレターゲットのアナウンスによる消費の刺激と投資の活性化というマクロ経済学的にはごく普通に導かれる経済政策の一つであり、けっして奇策でもなければ、経済的弱者を苦しめる政策でもない。むしろ財政再建を優先して社会保障を縮小したり増税したりする方がよほど経済的弱者を苦しめる。実際、クルーグマンやスティグリッツなど経済的弱者を守ることを重視するリベラル派の経済学者たちはアベノミクスを支持した。また、野党が主張する補助金の拡大、減税などを安易に行えば、社会の変化に順応したデジタル化の推進や事業体制の改革、経済的弱者の自立などを阻害し、なおかつ財政赤字の無制限の拡大へと繋がりかねない。

 だからこそ、アベノミクスがなぜ目標を果たすことができなかったのかを、経済学だけではなく、社会学、政治学、法学、心理学、歴史学など社会科学を総動員して実証的に解明する必要がある。さらに、経済政策の決定には、倫理的な観点を無視することはできない。だから哲学や倫理学からの検討も必要になる。そして、これらの成果から適切な経済政策を導かなくてはならない。さもないと、どんな政策も見掛け倒しに終わり、人々を幸福にしない。


(2022/6/10記)


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