☆ 核共有 ☆

井出薫

 安倍元首相が核共有を検討するべきだと発言し、日本維新の会も同じ趣旨の発言をしている。他でも、核共有や非核三原則の見直しを議論すべきという意見を表明する政治家が増えている。しかし核共有や非核三原則の見直しには同意できない。議論をすることはよいではないかとの意見があるが、議論の先には三原則の見直しや核共有の実現という目標が見えており、賛成できない。少なくとも現時点では、非核三原則の堅持、核の持ち込み禁止を原則として安全保障の議論を進めるべきだ。

 確かに、ロシアによるウクライナ侵攻という現実は、外交問題はすべて平和的な協議により解決可能、憲法9条が日本を守るなどという楽観論が正しいとは言い難いことを示している。また、ウクライナと日本では置かれている立場が大きく異なるとは言え、核保有国に囲まれている日本の現状に鑑みると、日本は安全だと楽観する訳にはいかない。

 しかし、核を保有しないと核保有国に侵略されるという認識は正しくない。他国を侵略するときに最初から核兵器を使用することはなく、通常兵器で侵略を開始する。核は伝家の宝刀で現実には使うことはない。核を使用すれば世界戦争になる危険性があるし、そもそも侵略し支配しようとする地域に核を用いるのは後処理を考えると愚かしい選択でしかない。また、核共有または核保有をすれば侵略を未然に防ぐことができるというのも幻想に過ぎない。核を配備したにも拘わらず通常兵器で侵略を受けた時にどうするのか。通常兵器だけでは勝ち目がないので核兵器を先制使用するとでも言うのか。そんなことはできない。先制使用などしたら、それこそ報復を受け、身の破滅になる。それでも抑止力にはなるという者がいるが、核基地を先制攻撃されれば核抑止は無力化されてしまう。だからこそ北朝鮮は潜水艦からの核ミサイル発射の技術開発に固執している。日本も、核抑止を盤石なものとするには、地上に核基地を設けるだけではなく、潜水艦からの核兵器発射の能力を整備する必要が生じる。しかし、そうなれば、近隣諸国はそれに対抗して軍事技術開発、軍備増強を進めることになり、軍拡競争の泥沼に陥る。

 さらに、核がなければ国を守ることができないと主張するのであれば、北朝鮮の核保有を非難する権利は失われる。北朝鮮も自衛のための核兵器であると常々主張している。同じことは、世界中全ての国に当て嵌まる。だが、世界中に核兵器が配備されることになれば、偶発的な核戦争が起きるリスクは格段に高まり、テロリストが核兵器を手に入れ使用するリスクも生じる。

 要するに、非核三原則を見直し核共有したところで、日本の安全保障が盤石なものとなるわけではなく、むしろ軍拡競争と偶発的な戦争リスクが高まる。さらに、被爆国である日本が核兵器の配備を行えば、核兵器廃絶に努力している国内外の多くの人たちを失望させる。

 では、ロシアの威嚇に対してどう対処するのか。それは一言でいえば「脅しに屈しない」というものだ。脅しに屈せず、必要な経済制裁、ウクライナへの支援を続ける。これに尽きる。少なくとも、現状では、核の共有や非核三原則の見直しに益はなく、その必要もないと考える。


(2022/3/5記)


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