井出薫
21世紀半ば過ぎには人口減少時代がやってくるという予測がある。それが的中するかどうかは分からないが、先進国の人口が減少することは間違いない。それを受けて、日経新聞に「人口と世界」と題した連載が掲載されていた。連載の内容を見ると、人口減少が世界に危機をもたらすという仮説が前提されている。だが、本当だろうか。 温暖化、環境汚染、森林破壊など環境問題は、化石燃料の消費だけではなく、産業の発展と共に人口が増大したことに起因している。人口が減少すれば環境への負荷は軽減される。たとえば、人口が4分の1、20億人以下になれば、テクノロジーの活用で、食糧問題はもちろん、環境問題の多くが解決される。同時に、世界の人々が協力することで、貧困も格差も解消され、食糧不足からも解放される。極端な話し、人類が一人残らず消滅すれば、地球の自然環境は格段によくなる。二酸化炭素の排出量はゼロになり、温暖化は止まり、地球は人類文明誕生以前に戻る。人工物に溢れる都会も数百年後には動植物が繁栄する場所となる。人間が荒廃させた自然、たとえば杉だけが生えている不自然な森林も多様な生物種が共存する自然林に戻る。 人口減少は短期的には労働力不足など社会に多くの問題を引き起こす。だが、長期的な視点、地球環境という大きな視点でみれば、むしろ望ましい。だが、なぜ、それを人々は文明の危機と解釈するのだろうか。それは、経済成長が止まることを恐れるからだ。資本主義は、経済成長を前提とする。成長があるから、そこに利潤が生まれる機会が生じる。利潤を生み出す機会があるから、資本家や民間企業は投資する。投資があるから、経済活動は円滑に運営される。成長は、人口増加を重要な要件とする。だから、人口が減少し成長が止まれば、利潤は生まれず、投資は行われず、経済は衰退へと向かう。経済が衰退すれば文明も衰退する。確かに、資本主義を人間社会の不変の原理、永遠の体制と考えるのであれば、人口減少は危機をもたらす。人口減少を補うために技術革新を進め生産性を高めるしかないが、人口が減少すれば消費が縮小するから、たとえ技術革新が進んでも成長は困難になる。物理的なモノを消費しないデジタルコンテンツで消費を活性化して補うにしても限界がある。人間の欲求は無限ではない。ある程度豊かになれば、富よりも生きがいなど精神的なものへと人々の関心は移る。 人類の活動が地球環境の限界を超える規模にまで拡大している現代、大局的、長期的に見れば、人口減少は悪いことではない。もし人口が急増し100億どころか200億を超すような事態に至れば、どんな対策をとっても環境問題も食糧問題も解決不可能になる。そのことを考えれば、人口減少はむしろ福音とも言える。だが、資本主義が存続することは困難になる。斎藤幸平の『人新世の「資本論」』では、資本主義から脱成長コミュニズムへの転換が提唱されている。脱成長の時代が、コミュニズムになるかどうかは分からないが、脱成長への転換点がいずれ到来することは間違いないと思われる。それが、いつになるか、脱成長はユートピアかディストピアかは分からない。だが、私たちは、今から、それに備える必要がある。 了
|