☆ 安倍・菅時代の終わり ☆

井出薫

 9月3日、菅首相が退陣を表明した。もちろん本意ではなかっただろう。首相は就任後1年足らずで、脱炭素社会宣言、デジタル庁、不妊治療負担の軽減、携帯電話料金の適正化など多くの公約を実現した。新型コロナ対応で批判を浴びたが、無理だと言われていたワクチン接種一日百万回を実現したことは高く評価される。総選挙に勝つために支持率が高かった就任直後に解散することもできたのに、仕事を優先するために解散権を封印した。この点も良識ある判断として評価できる。「こんなに国民のために尽くしたのに、なぜ評価してくれないのか。」これが菅の胸のうちだろう。

 だが、第二次安倍政権誕生から今日に至るまでの菅の行動を思い起こすとき、これも致し方ないと言わざるを得ない。安倍・菅政権の最大の問題点は、反対意見や異論に対して著しく不寛容だったことだ。異論や批判者を排し、自分たちの信念や政策を支持する者だけを重用する。官僚に「政府の方針に従わない者は変える」と公言する。その結果、ネットでは、すこしでも政府に批判的な者、韓国や中国に好意的な者に「反日サヨク」、「売国奴」というレッテルを貼り排除する動きが広がった。官僚は委縮し保身に走り忖度して文書の改竄を行うまでに至り、政府に批判的な考えをはっきり表明する骨のある官僚は地位を追われた。

 自民党が戦後、一時期を除くとずっと政権を維持することが出来たのはなぜか。最大の理由は他の政党と比べて自民党が柔軟で寛容な政党だったからだ。吉田茂はマルクス経済学者の大内兵衛と親しくその忠告をしばしば受け入れた。中曽根康弘は筋金入りのタカ派、改憲の急先鋒だったが、9条擁護、日米安保条約の日米平和条約への改定を主張するハト派の後藤田を重用した。小渕恵三は総裁選で梶山の支持者だった野田聖子を37歳という若さで郵政大臣に抜擢した。いずれにしろ、自民党はそういう懐の広い政党だった。人権を重視すると公言しながら閉鎖的で選挙で負けてもトップが交代することのない共産党、保守派や親米派を保守反動、対米追従などという紋切り型の批判で断罪するかつての社会党などとは対極的な位置にあったと言える。そして、それが国民に安心感を与え、長期にわたる政権維持を可能とした。筆者が若い頃は言論界で左翼やリベラルが圧倒的に強かったこともあり、若者は社会党や共産党に投票する者が多かった。だが、当時の若者たちも、社会党や共産党の危険な体質を感じ取っており、両党が政権を取ることなどありえないから投票するという者が少なくなかった。実は筆者もその一人だった。

 しかし、第二次安倍政権以来、自民党とその一部支持者たちの姿勢が変容した。異論、反対意見を持つ者たちに不寛容になり排除の論理が強くなる。安倍がよく使う「悪夢のような民主党政権」という表現がその典型で、日本学術会議の一部候補の任命拒否などもその現れとみることができる。そして、このような安倍・菅政権の独善的な体質、以前の自民党とは違う体質を生み出す上で最も大きな役割を担っていたのが菅だった。それは史上最長の安倍政権を生み出したが、最後にはそれにより自滅した。

 安倍・菅政権時代は終わった。民主主義にとって何よりも大切なことは、独善を排し、少数意見を尊重し、広く社会の声に耳を傾け、熟慮し、討議し、現状とそれへの対処としての政策を丁寧に説明して人々の納得を得ることだ。新政権がどうなるか、自民党が政権を維持できるのか、まだわからない。だが、いずれにしても、寛容で民主的な政治を実現できる政権になることを強く期待する。


(2021/9/4記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.