☆ 自由と民主の行方 ☆

井出 薫

 新型コロナの感染拡大が止まらない。ワクチン接種の普及で欧米では規制を緩和し市中には賑わいが戻っているが、時間の経過と共にワクチンの効果が下がることが懸念され、元の日常に戻れるかどうかは分からない。日本では欧米と比べてワクチン接種が遅れ、いま過去最大の感染に襲われている。

 新型コロナの感染拡大以来、自由を理念とする国々でも幾度となく人々の自由を制限するロックダウンや日本の緊急事態宣言のようなそれに類する規制がなされてきた。これからも完全に収束するまでロックダウンが繰り返されることになろう。

 新型コロナにおけるロックダウンでは、左翼やリベラルに賛成者が多く、保守や右翼に反対者が多いという特徴がある。これはいささか奇妙な感じがする。普段、左翼やリベラルは国家による市民の行動制限や介入を嫌う。一方、保守や右翼は緊急時の国家による統制の必要性を強調する。ところが、新型コロナでは逆になっている。尤も、保守や右翼は企業活動の自由を重視し、左翼やリベラルは市民生活を重視するから、このことは必ずしも矛盾している訳ではない。とは言え、ロックダウンを左翼やリベラルが肯定することが妥当なのかは吟味する必要がある。

 公衆衛生と自由の権利は必ずしも矛盾しない。生命の安全が守られてこそ自由の権利が行使できる。両者は矛盾するどころか一致しているともいえる。日本国憲法でも、第12条で憲法が保障する自由と権利について「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」とあり、命を守るための公衆衛生の必要と自由の権利は矛盾しないことが見て取れる。だが、それは国家による法的強制を正当化するものではない。憲法12条は、国民一人一人が理性的に判断して自らの行動を律することを求めているのであり、国家による法的強制を想定しているのではない。つまり、自由と民主の理念は、市民や企業が理性的に行動し、国家に強制されることなく、感染すること・させることを防ぐために最善を尽くし、国家がそのために必要な体制を整備し、必要な情報や手段を速やかに提供するとともに、自粛により生じる経済的損害などを十分に補償して生活を守ることを前提としている。それゆえ自由と民主の理念はけっして国家がロックダウンをすることを擁護しているのではない。その点で、左翼やリベラルの態度は妥当とは言えない。

 ところが、現実は、市民も企業も国家に強制されないと、行動を律することができない。政府や自治体の自粛要請を、その要請が妥当なものだと分かっていても無視する者が少なくない。一方、政府や自治体は十分な情報と手段を提供せず、補償も不完全で生活が守られていない。だから互いに不信感を抱く。その結果、自由と民主は理念と現実との間に大きなギャップが生まれる。ある意味、新型コロナは、自由と民主の理念は現実的には実行不可能であることを示唆しているとも言える。

 また、新型コロナは、人々は本当に自由を欲しているのかという疑問を生み出す。確かに新型コロナは普通の風邪とは比較にならないほど病原性が高く、感染力も強い。だが、致死率は2%程度であり、日本では死者は約1年半で2万未満に留まっている。医療関係者が感染拡大抑止を強く訴えるのは当然で、それに国家はもちろん市民も応える責務がある。しかしながら、(筆者を含めて)人々が怖がり過ぎているのも事実だ。左翼やリベラルなどがロックダウンに肯定的である理由の一つは、市民がこのように自由よりも安全を求めているということにある。いま、市中には防犯カメラが溢れている。AI時代、これは市民の自由やプライバシーを制約する道具になる恐れがある。しかし、人々は防犯効果を重視し、防犯カメラの設置を支持する。かつてソ連・東欧の共産党政権が倒れたとき、欧米や日本など西側諸国は、「人々は自由を求める、だから共産党政権は崩壊した」と言った。だが、自由を求めていたのは事実だとしても、共産党政権崩壊の原因はむしろ経済的な破綻にあったとみるべきだろう。自由と民主が制限されながらも、中国では目覚ましい経済成長に成功した共産党政権が国民の多数の支持を得ている。新型コロナでも中国は、感染拡大・規制の繰り返しで苦しむ自由と民主の国を横目に、感染抑制に成功している。

 今、自由と民主は危機に瀕している。世界情勢を見ても、アフガニスタンでタリバンが政権を奪還したように、自由と民主を標榜する者たちの勢力は伸びていない。これからも新型コロナのようなパンデミックが起きるたびに、自由と民主は形骸化していくに違いない。また、温室効果ガスの増大による地球温暖化など環境問題は市民生活や産業への国家の積極的介入なしで解決できるとは思えない。さらに、カントは、人間は知性を適切に働かせることで正しい認識を得ることができると主張したが、産業が拡大し、科学技術が発展し、人々の活動範囲がグローバル化した現代、誰一人として、何が正しいかを常に的確に判断することなどできはしない。いまや自由と民主の理念は修正を余儀なくされている。ただ、どのように修正すればよいかが分からない。


(2021/8/19記)


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