☆ 2020年 ☆

井出薫

 2020年が終わろうとしている。2020年は新型コロナのパンデミックが起きた年として長く記憶されることになろう。年の初めにこのような事態になると予測できた者はいない。数年前、AIや遺伝子操作技術の進歩で、人類は遂に自然を思うがままに制御できる時代が来たなどとする意見があった。しかし、それが幻想に過ぎないことを思い知らされた。

 来年のオリンピックはコロナに打ち勝った大会として開催するなどと政治家は強がりを言う。だが、そんなことは到底不可能で、開催できたとしても、「コロナの顔色を伺いながら、ひっそりと行う大会」として開催することになる。なるほど、通常十年かかると言われていたワクチンの開発に一年足らずで成功しつつある。だが、それが首尾よく感染を終息させ、以前の生活を取り戻してくれるかどうかは分からない。絶え間ない変異でワクチンの効果がないウィルスが登場するかもしれない。どの程度副反応があるかも分からない。コロナ以外に目を向ければ、エボラ出血熱やデング熱などワクチン開発が上手く行かない厄介なウィルスがたくさんある。病状を制御できるようになりつつあるエイズもワクチンは開発されていない。バクテリアや真菌類の病原体には抗生物質が有効だが、耐性菌が広がり、今や人類は敗北しつつある。これら病原菌は退治するのではなく衛生学的な方法で感染を抑止するしかない。

 2050年までに二酸化炭素排出量をゼロにすると多くの国の首脳が宣言している。だが、大量生産・大量消費、古いものをどんどん捨てて新しいものをどんどん購入するという現代人の生活様式を前提とする現代資本主義の下で、本当にそれが可能なのかどうか疑問と言わなくてはならない。環境問題を軽視しパリ協定から離脱したトランプ大統領は、コロナ前まではオバマ政権時代に比べて米国の景気を良くしたことは間違いない。脱炭素化社会実現のための技術開発を成長戦略に組み入れて、経済と環境の好循環を生み出すなどと言うが、感染拡大抑止と経済を両立させようとして世界中至る所で失敗を繰り返している人類に、そのようなことができるとは思えない。環境問題は温暖化だけではない。近年、ことに問題となっているのがプラスチックごみで、こちらも極めて深刻で解決が容易ではない。プラスチックは耐久性に優れ、空気も水も通さないため衛生上も極めて優れている。しかも軽くて柔らかいのに丈夫ときている。ごみ問題がなければ、これほど素晴らしい素材はない。だが、この優れた特性がごみとなったときに大きな問題となる。不要になっても、すぐに分解し無害な物質に変化しないからだ。研究中でその害が良く分かっているわけではないが、海洋に流れ出たプラスチックから漏れ出る物質がプロクロロコッカスというシアノバクテリアの一種に有害な影響を与えるという説がある。プロクロロコッカスは光合成をして酸素を大気中に放出する。しかも、大気中の酸素の10%はこのプロクロロコッカスが生み出していると言われる。つまり、プラスチックごみは下手をすると、人類を始め多くの生物の生存を脅かす可能性がある。しかし、プラスチックに代わる素晴らしい素材を生み出すことは容易ではない。生物由来のプラスチック類似製品が普及してきたが、製造コストが高く、またバイオマス燃料と同様、食料を生産すべき農地でプラスチック用植物を育てることが本当によいことか疑問がある。世界人口は増大を続けており、食料や水の不足が深刻になる日は遠くない。温暖化やプラスチックごみ問題だけではなく、様々な環境問題が生じている。乱獲による魚類の著しい減少、生産拡大のために農地に大量投入される化学肥料による窒素汚染、発展途上国の大気汚染など、環境問題は多岐にわたる。日本は人口減少に悩んでいるが、世界全体では人口増加が急速に進んでおり、先にも述べた通り、水と食料を巡って深刻な紛争が起きる可能性がある。

 確かに、近代化以降、科学と技術が進歩し、生活は便利になり、人びとの寿命は大幅に伸びた。さらに近年は、ICT、AI、遺伝子操作、宇宙探査技術、量子コンピュータなどの進歩で、新しい世界が開けつつある。だが、人びとはそれを過大評価している。人類が自然を制御することなど絶対に不可能で、どんなに進歩しても、人間は常に自然の中で、自然とどう調和していけばよいかを考えなくてはならない。太陽の光と水は、地球上で、生物に限りない恩恵を与えてくれる。だが水が無ければ太陽はあらゆる生物を絶滅させる。太陽が無ければ水は凍結し生物の生存を不可能にする。オゾン層がなければ、太陽からの強力な紫外線で地上に生物が進出することはできなかった。地球の至る所で生物が生存できるのは絶妙なバランスが成り立っているからだ。そして、人間の力だけでそれを維持することはできない。パンデミックがそのことを教えてくれている。ただ、核兵器や化石燃料の大量消費などでバランスを崩すことはできる。つまり、人間は自力で死ぬことはできるが、自力で生きることはできない。

 新型コロナはパンデミックであると当時にパニックでもあると指摘される。それは、人間が自らの科学と技術を過信していた証だろう。まさか可視光の波長よりも小さなウィルスに人間世界が翻弄されることになるとは夢にも思わなかった。十数年前、鳥インフルエンザが変異しパンデミックが起きるとWHOは警告した。だが、一部の者を除くと、筆者を含めて多くの者が、科学と技術でそれに対処できると根拠なく信じ、警告を無視した。だから、新型コロナのパンデミックで虚を突かれ、人々は動揺しパニックに陥った。運がよければ、2021年はワクチンの効果で危機から脱出できるかもしれない。だが、それでも2020年の教訓を忘れてはならない。私たち人間は自然を制御することはできない。ただ自然とできる限りうまく付き合い、自然の中でよく生きることしかできない。脱炭素化技術で経済成長を、などという虫の善いことを考えるのではなく、生活様式を変えて自然と調和することが必要で、それしか環境問題を解決する術はないということを学ぶべきなのだ。


(2020/12/26記)


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