☆ 司法の活用を ☆

井出薫

 日本学術会議会員の任命拒否の問題が一向に解決しない。政府は総理大臣(以下、「首相」と称す)に任命権があるから拒否することに問題はないと主張し、日本学術会議側や政府に批判的な野党、学者や知識人は会議の独立性を根拠に首相の実質的な任命権を否定し、任命拒否は学問の自由を侵害し、法的にも不当、つまり違憲違法だと主張している。

 菅首相は一時期、会員が特別公務員であることを根拠に、憲法15条を援用して任命拒否を正当化しようとした。しかし、法の素人でも分かるように、これは余りにも粗雑な議論と言わなくてはならない。15条は、公務員の任命・罷免は国民の固有の権利だと定めている。しかし、これは、首相に任命・任命拒否の権限を与えるものではない。首相は国会議員で選挙で国民の信託を受けているとは言え、その地位は行政の長であり、民主的統制の主体ではなく客体であり、この論理は通じない。

 一方、首相が日本学術会議の推薦リストをみていないことが法律違反だと批判する者がいる。しかし、膨大な数の事案を処理しなくてはならない首相が、すべて資料に目を通すことは実務的に不可能であることは認めないわけにはいかない。推薦リストを見たところで、見ず知らずの者も多いだろうし形式的な作業に留まる。それゆえ部下に推薦リストのチェックをさせて、その結果報告を受けて決裁することは実務的に許容される。民間企業でも社長決裁の案件のすべてに社長が細かいところまで目を通すことはない。そのようなことをしていたら、円滑な業務遂行は不可能になる。行政の長も同じで、いくら「法律に基づく行政」が立憲主義の大原則だからと言って、推薦リストを読むことを省略したくらいで、法律違反だと言われたのでは、行政事務の遂行が事実上不可能になる。

 今のままでは水掛け論、揚げ足取りに終始し、無駄に時間が過ぎ、結局、白黒決着がつかないままに忘れ去られることになる。本件に限らず、こういうことが多すぎる。当事者同士で解決することはほぼ不可能なのだから、ここは三権分立の一つ、法の番人である司法の判断を仰ぐことで、是非をはっきりさせることが望ましい。任命拒否が切っ掛けとなって、日本学術会議は余計な作業を強いられ、また中国の千人計画に協力しているなどという根拠のない誹謗中傷を受けた。任命拒否された6名も名誉を傷つけられたと言えよう。「反日サヨク」などという誹謗中傷も受けている。ともに、政府に対して損害賠償の訴訟を起こすことが可能だ。訴訟を起こすことは手間が掛かり、研究や若手の育成に費やす時間を削ることになる恐れがあり荷が重いかもしれない。だが支援者はたくさんいるのだから、大きな負担なしで訴訟を起こすことは可能だと思われる。事の是非をはっきりさせ、学問の自由を守るためにも、訴訟を起こすことが望ましい。さらに、本件に限らず、日本はもっと司法を活用するべきだと考える。


(2020/10/24記)


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