☆ 憲法 ☆

井出薫

 安倍首相が退陣し、改憲の機運は後退した。菅官房長官はリアリストで、安倍政権の路線を継承するとしているが、改憲に消極的な公明党に配慮し改憲を急ぐことはないだろう。護憲派の筆者としては一安心というのが本音だ。

 だが、憲法の問題が解決したわけではない。法哲学者の井上達夫氏は、第9条に関する護憲派の論理には欺瞞があると指摘している。第9条は、素直に読めば、非武装中立を命じている。いくら自衛のためと称しても、実質的に戦力であり戦争も可能な自衛隊と、日本国内に米軍基地を置くことが義務付けられている日米安保条約は、第9条に合致しないと解釈するのが自然だ。少なくとも、46年に憲法が成立した当時、日本側も米国側も、第9条は日本に非武装中立を義務付けるものだと理解していた。だからこそ、当時、ソ連の強い影響下にあった日本共産党は戦力の不保持と交戦権否定を命じる第9条第2項に反対した。この条項により、日本が米国の従属国になることを危惧したのだろう。

 ところが、いつの間にか、自民党や保守派だけではなく、護憲派までもが、「第9条第1項は自衛権を否定するものではないから、自衛のための実力組織である自衛隊と自衛に欠かせない日米安保は合憲」という解釈を容認するようになった。しかし、条文解釈としては、やはり無理がある。自衛隊と日米安保という現実に、憲法解釈を合わせたというのが実情だ。最高裁は、両者の違憲合憲判断を統治行為論により回避した。明確に違憲でない限り、国家と国民にとって最重要課題である国防は司法判断に馴染まないというのが理由だった。だが、このことは、最高裁が違憲の疑いが強いと考えていたことを示している。もし合憲だと考えていたのであれば、合憲という判断を示したと思われるからだ。実際、今でも、自衛隊と日米安保は違憲だと考える憲法学者や市民はけっして少なくない。前述の井上氏などは、第9条に関する見解を除けば、リベラル派に属するが、自衛隊と日米安保は明白に違憲だと主張している。

 それゆえ、憲法が、法治国家である日本の法体系において最高法規であることに鑑み、憲法を改正するか、自衛隊と日米安保を解消するか、いずれかを選ぶべきだということになる。だが、前述のとおり、護憲派の多くは、解釈論で自衛隊と日米安保を合憲化し、第9条は維持しようとしている。確かに、ここには誤魔化しがあり、ご都合主義という批判は免れない。むしろ、自衛隊の違憲合憲論争に終止符を打つために、自衛隊の存在を第9条に明記する必要があると主張する安倍首相の方が論理的には首尾一貫している。

 一方、(数は大きく減ったが)自衛隊と日米安保を違憲とする原則論的な護憲論者は、自衛隊と日米安保の解消を主張してきた。確かにこれならば論理的に首尾一貫する。だが、世界の現況を考えると、非現実的な選択だと言わなくてはならない。確かに、自衛隊と日米安保を解消したからと言って、いきなり、日本が侵略を受け植民地化されるなどということはありえない。しかし、尖閣諸島を人民解放軍が包囲し、実質的に統治下に置くということは起こりうる。もし、そうなったとしても、日本は国連などで非難の演説をすることくらいしかできない。日本に同情する国はあるだろうが、大した力にはならない。これに対して、無人島などどこの国のものでもよいと言う者もいる。だが、現実世界ではそういう訳にはいかない。領土や領海の問題だけではなく、武力行使に何ら抵抗することができないようでは国際社会の一員としての責任を果たすことができない。武力により尖閣諸島を簡単に支配することができれば、続いて、他の国の領土、領海にも力を行使しようとするだろう。そういう行動は容認してはならない。実際、東南アジア諸国は、中国との関係を重視しつつも、日本が米国と協力して中国を牽制することを期待している。バブル崩壊以降低迷を続けているとは言え、アジアにおいて日本は中国に次ぐ経済大国であり、その期待に応える必要がある。自衛隊と日米安保を解消すれば、海外では、一部の理想主義者は称賛するだろうが、多くの者は失望するか、非現実な選択だと批判するだろう。そして、それが国際社会の現実だ。それゆえ、現実的な観点から、原則論的な護憲論者に賛同することはできない。

 それでは、護憲を主張することにいかなる意義があるのか。改憲論者はこう指摘するだろう。確かに、この問いに明快な答えを与えることは難しい。理念としての第9条というのが、これまでの筆者の立場で、同じ考えの者は少なくないと思う。だが、実定法の一つである憲法を理念と解釈することは不適切であることは認めざるを得ない。このような状況の中で、あくまで護憲を支持するためには、日本の安全保障を確保し世界平和に貢献しながらも、同時に自衛隊と日米安保を解消するための方策を見出し、実行することが欠かせない。つまり、猶予期間を設けて、その間は憲法と現実との乖離をやむを得ないものとして容認するという立場だ。もちろん、道を見つけることは容易ではない。そんなことは絵空事だ、と批判者は言うだろう。だが、この道を見出すことできなければ、少なくともそのための努力をしないのであれば、自衛隊を明白に合憲となるように改憲すべきという改憲論者の議論に対抗することは難しい。保守、特にタカ派と呼ばれる人々がよく持ち出す論理「対案がないなら反対するな」的な議論は言論を封殺する非常に危険な論理であり、具体的な対案が無いなら理想を語ってはいけないということでは決してない。だが、それでも、実定法の頂点に立つ憲法という問題においては、論理的で、かつ、現実的な思想と行動が無い限り、いつまでも護憲を維持していくことは難しい。護憲派には、その覚悟が必要であることを銘記しておきたい。


(2020/9/12記)


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