☆ 科学者との関わり方 ☆

井出薫

 新型コロナ対策における専門家=科学者の役割は大きい。しかし、科学者に全面的に依存するわけにはいかない。 新型コロナウィルスについては未知のことが多く、科学者と言えど、何が正しいかは分からない。

 緊急事態宣言に伴い、接触機会8割削減が要請された。だが、8割という数字の根拠となる数理モデルには、再生産数など様々な未知のパラメーターが含まれており、パラメータの取り方次第で、算定結果は大きく異なる。新型コロナについては十分なデータが揃っておらず、パラメータの設定が恣意的になることは避けられない。また、そもそも「接触機会」をどう定義すればよいかが難問で、提唱者の説明も納得できるものではなく、経過とともに説明内容がずれてきたと思える。しかも、もし8割削減理論が精密な理論であるならば、どの時点で、どの程度、経済を再開すれば、感染の再拡大を防止できるかが予測でき、それに基づき政府や自治体は規制緩和を進めることができたはずだ。だが、宣言解除も規制緩和も、科学的なモデルに基づくものではなく政治判断で決まった。そもそも接触機会がどれだけ減ったかを測定することは事実上不可能で、理論の妥当性を検証することができない。要するに、8割削減理論は(間違っている可能性が相当に高い)一つの仮説に過ぎず、妄信して政策を決めるのは非常に危険なことだった。その道の権威などという言葉に惑わされて、科学者を過信するべきではない。特に断定的に物事を論じる科学者は要注意だ。誠実な科学者ならば、「これこれの仮定の下、ここで使う数理モデルが正しいとすれば、こうなると予測される。ただし、仮定が正しいかどうかは現時点では不確実で、モデルと現実が大きく異なる可能性がある。」と説明するだろう。ところが、提唱者は8割削減できれば新規感染数は急速に低減すると断言した。もし、感染が減少に向かわなかったら、8割削減ができていないと論じたに違いない。(補足参照)

 残念ながら、政治家を含めて人々は危機に瀕すると、このように断定的に物事を語る者にすがるようになる。先に述べたような誠実な科学者は「頼りない」、「本当に科学者なのか」と否定的に評価されてしまう。イギリス、オランダ、スウェーデンは、新型コロナに対してロックダウンをせずに集団免疫理論に基づき対処しようとした。それを提唱する(物事を断定的に語る)科学者たちを政治家が信じたからだ。だが、いずれも失敗し、イギリスとオランダはロックダウンに方向転換し、スウェーデンでは多くの欧州諸国が感染を収束させた中で依然として感染が続いている。

 科学者の言うことなど聞くなというのではない。新型コロナウィルスのような問題では、科学者の協力が無くては政治家や官僚だけでは何もできない。科学的な知見を可能な限り活用することで初めて道が開ける。政治家は科学者の助言を求め、その助言を活用しなくてはならない。ただ、新型コロナのような未知の領域では、科学者といえど、正確な答えを見つけることは至難の業であり、素人のような判断ミスを行うこともありえる。だから、断定的に物事を語る者ではなく、分からないことは分からないと素直に認め、理論の限界を弁え自らの言明が間違っている可能性があることを正直に語る者を信頼すべきなのだ。ただ、確かに難しいところがある。極めて優秀だが、我が強く自説を決して曲げない科学者がいる。その説が正しければよいが、間違っていると最悪のケースになる。一方、謙虚で誠実だが、能力的には今一つという科学者もいる。そして、そのどちらかであるか、能力が無いのに我の強さだけは一人前の科学者がほとんどという現実がある。優秀で、かつ誠実という者は案外少ない。尤も、それは科学者だけのことではない。自信がある者は傲慢になりがちだ。それゆえ、優秀で、かつ、誠実な科学者を探すことは容易ではない。しかも誠実な者はノーベル賞受賞などの権威が無いと評価されにくい。また現実的には、決断を迫られる政治家たちにとっては断定的に物事を語る科学者の方が扱いやすい。迷わず政治決断できるからだ。但し、それが間違っている可能性があること、そして責任は自分が取らなくてはならないことを弁えておく必要がある。

 それゆえ、政治家は、複数の見解の異なる科学者から助言を求めることが必要になる。その中の誰を信用するかは、緊急時は直感で決めるしかない。だが、つねに、信用した者の意見が間違っている可能性があることに留意し、見解を異にする者の方が正しいと判断したときには、直ちに方向転換する必要がある。方向転換をすると、世論は非難するだろう。だが、「君子は豹変す」の諺通り、過ちを認めたらすぐに方向転換することが一番良い結果を導く。そして、そのことを市民に納得してもらうために、情報の透明性を高めリスクコミュニケーションを充実する必要がある。いずれにしろ、新型コロナのような先例のない重大事案においては、誰もどうすればよいか分からない。政治家や報道関係者、市民は、そのことをよく認識しておく必要がある。また、科学者は謙虚であったほしい。


(補足)
 8割削減理論は間違いで無意味だったとか、緊急事態宣言は不要だったなどというつもりはない。3月下旬以降感染者は急増しており緊急事態宣言は必要だったし、感染爆発を防ぐために効果があったと評価する。治療薬やワクチンが無く、飛沫感染と接触感染で感染が広がる致死率の高い感染症では、市中感染が広がったら、外出規制と休業で人の移動を制限するしか感染拡大防止策はない。一部で、感染のピークは3月末で緊急事態宣言の前だったと推測できることを根拠に緊急事態宣言を不要だったと結論付ける者がいるが、筆者は同意しない。ピークが宣言前だったとしても、それは、すでに3月下旬から、東京都知事の「感染爆発の重大局面」発言なども手伝い、市民も企業も緊急事態宣言発動を織り込み、先行して外出を控えテレワークを進めていたことによるものと解釈できる。また、8割削減要請も、市民や企業が、外出自粛、休業、テレワークなどを進めるうえで大きな後押しになったという点で評価する。ただ、8割削減理論は、十分な科学的根拠を持つものではないことを指摘しないわけにはいかない。


(2020/7/5記)


[ Back ]



Copyright(c) 2003 IDEA-MOO All Rights Reserved.