井出薫
新型コロナウィルスの感染拡大で、憲法記念日もすっかり影が薄くなった。さすがの安倍首相も近頃は改憲への意欲を口にしない。しかし、それでも、憲法をどうするかを真剣に考える必要がある。 筆者は、少なくとも現時点では、現行憲法を変える必要はないという、いわゆる護憲派の立場をとっている。だが、憲法の条文の解釈は多様で、国民のコンセンサスがえられていない条項が数多くある。近年、政府による強引な憲法解釈、解釈の変更がなされ、立憲主義を危機に陥らせている。そこで、憲法解釈の論点のいくつかを挙げておく。 憲法9条の解釈は幾度となく変更がなされ、今に至っている。憲法制定当時の解釈では、自衛隊も日米安保も違憲となるはずだ。しかし、現実問題として、東西対立の中で、両者を違憲とすると、憲法と現実が明確に対立し立憲主義が危うくなる。そこで、司法は統治行為論で違憲審査を回避し、80年代から現実主義の台頭で、第9条は自衛権を否定していないという論理で自衛隊も安保も合憲という解釈が主流となっている。だが、憲法学者や左翼的な思想に賛同する者を中心に自衛隊・日米安保違憲論はいまでも根強い。それに加えて、安倍政権は集団的自衛権は合憲との立場をとり、それに基づく様々な法改正を行い、大きな議論を呼んだ。集団的自衛権については、自衛隊の活動に歯止めが掛からなくなる恐れがあり容認しがたいという意見が多く、筆者もそれに同意する。しかし、憲法には自然法的な側面もあるが、本質的には実定法であり、現実に即した解釈が必要という立場もある。この辺りは真剣な議論が必要で、国民のコンセンサスが得られることが望ましい。さもとない、集団的自衛権容認のときのように、時の政権の恣意で解釈が変更されることになる。 公衆衛生の必要性は、憲法12条に記載される「公共の福祉」に属すると以前論じたが、「公共の福祉」という概念は曖昧であり、憲法学でも様々な説がある。しかも憲法学の学説は一元的内在制約説、一元的外在制約説、内在・外在二元的制約説など一般市民には甚だ分かりにくいもので、司法の場などを除くと現実には使い物にならない。多くの国民は、「公共の福祉」の意味するところは何となく分かるが、具体的に何がそれに該当するのかは判断できないと感じている。緊急事態宣言など私権の制限の根拠は「公共の福祉」にあると考えられるから、より具体的にそれが何を指すかを明らかにする必要があると思われる。 92条には、「地方自治の本旨」という表現がある。しかし、それが何を意味するかは憲法上は何の説明もない。通説では、それは団体自治と住民自治の二つの意味があるとされる。新型コロナ感染対策では、各地方自治体の長が、自らの判断と権限で、休業要請・指示、休業補償などを実施している。また、沖縄県では、知事が普天間基地の辺野古への移転で国と激しく争っているが、地方自治体の長の権限は相当に強く、国と言えどそう簡単に思いのままにはできない。これらの事例は団体自治の現れとみることができる。しかし住民自治は不十分で住民の政治参加は限定されている。これも住民自治の概念が曖昧であり、コンセンサスがないことによると思われる。 現行憲法はよくできていると考えるが、憲法という性質上、抽象的であり、それを具体的に理解し、その精神を具現化することは容易ではない。それゆえ適切な憲法解釈を国民が共有する必要がある。そして、現時点では、それが十分にできていない。憲法記念日の今日、そのことを考えながら、憲法を読み返してみたい。 了
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