井出薫
公衆衛生と人権は相反する面があると言われることがある。改正特措法で首相が緊急事態宣言をし、それに呼応して地方公共団体の長(知事)が個人の権利を一定範囲で制約することができるようになった。このように、公衆衛生と個人の権利は相反することがあるという訳だ。だが、これは正しい見方だろうか。 権利が権利として機能しうるためには、二つの最低条件が満たされる必要がある。生命が維持されていることと、社会に秩序があることだ。生命を失えば権利を行使することはできない。社会に秩序が無ければ、権利は機能しない。難民に自由の権利があると言えるだろうか。 それゆえ、国民の生命と健康を守るために、政府が個人の権利を一定範囲で制約することは容認される。むしろ、それは政府の義務であると言ってもよい。ただ、そこに政治的な意図(反体制派を弾圧する、野党を潰して選挙を有利にする、など)がなく、もっぱら国民の生命を守るという意図に基づくという条件はある。また、権利の制約は公衆衛生のために必要な範囲であるという条件も付けられる。しかし、それらの条件を満たすのであれば、公衆衛生のために実施する権利の一定範囲での制約は、決して個人の権利と相反するものではない。むしろ、個人の権利が十分に保護されるために必要な措置であると言ってもよい。日本国憲法でも、権利の濫用を禁じ、公共の福祉のためにこれを用いる責任を負うと明記している(第12条)。公衆衛生は公共の福祉に属すると考えてよい。 先週、格闘技団体が埼玉で、知事や大臣の要請を拒んで6千人規模の大会を開催した。これについては多くの批判があったが、知事や大臣の要請は法に基づく命令ではないため、法的には従う義務はなく、経営上の観点から強行したものと思料される。そして、憲法で認められる営業の自由という観点からは、この行為は容認される。しかし、公共の福祉のために用いるという憲法の規定とは合致せず、権利の濫用に近い。開催を断念し、その代わりに、大会中止で蒙った損害の補償を政府に対して要求するべきだった(そして、政府はそれを補償するべきだ)。 公衆衛生のために必要な権利制約は個人の権利を否定するものではなく、個人の権利が十全に保護されるために必要は措置だと言ってよい。適切な運用がなされる限り、公衆衛生と人権は決して相反するものではない。 了
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