☆ 解散権 ☆

井出薫

 日本国憲法では、内閣の助言と承認による天皇の国事行為に衆院の解散が含まれている(第7条)。このことを根拠に、首相に衆院の解散権があると解釈され、実際、幾度となく首相の決断で衆院が解散されてきた。だが、野党の虚をつく党利党略による解散もあり、首相の解散権に歯止めが必要ではないかという意見がある。立憲民主党は首相の解散権を制限する方向で憲法の検討をするとしている。

 一方、イギリスは、以前は、日本と同じように首相に下院の解散権があった。しかし、11年に議会の任期固定法が成立して以来、下院の3分の2の賛成が得られない限り解散ができなくなった。EU離脱を巡る政治の混迷が長引いているのも、首相に解散権がないことが大きな要因の一つになっている。そもそも、EU離脱が国民投票に掛けられたのも、首相に解散権がなかったからとみることもできる。当時、解散権があれば、EU離脱の是非を大きな争点として解散総選挙を行うことができた。そうすれば、今のような混乱はなかったかもしれない。

 民主制を取る多くの国で、首相など行政の長に解散権が認められている。与党の分裂、与野党の逆転などに起因して議会が混乱し意思決定ができなくなったとき、それを解消し、正常化するためには、行政の長に解散権があることが欠かせない。分裂などで与党が少数派に転落したとき、通常は、野党が内閣不信任案を提出して可決し解散総選挙になる。しかし、議会の混乱が続くことが自分たちに有利に働くと踏んで野党が不信任案を提出しない、あるいは与党の信任案を否決しないという事態が起こりえる。そうなれば、最悪、任期が終わるまで政局の混乱が続くことになる。

 それゆえ、首相の解散権は支持される。イギリスも任期固定を見直して、首相の解散権を復活させるべきだろう。さもないと、たとえEU離脱問題は解決できても、将来、また別の問題で政治の混迷を引き起こすことになりかねない。だが、問題は首相の解散権をどうすれば良識の範囲内に制限できるかだ。かつて中曽根内閣は、表向き解散はしないとしながら、野党の虚を突く形で解散を断行し、衆参同時選挙で衆参ともに圧勝した。当時の中曽根内閣の支持率は高く、普通に争点を明らかにして解散をしたとしても勝利を得ることができただろう。だが、野党の虚をつく解散だったことで、野党とは議席数でより大きな差が付くことになった。首相の解散権を認めるにしても、解散の正当な理由があり、そのことを国民にはっきり示し、野党にも十分な選挙の準備期間を与えることなく解散することは許されない。

 このことを首相自身がはっきり認識して、解散の要否を判断していれば問題はない。ところが、報道が盛んに「衆院解散は首相の専権事項」と報じ、首相には解散に関して無制限の権限があるかのように論じることも手伝い、首相はいつでも自由に解散できるかのような雰囲気を作り出してしまっている。首相の解散権の制限という意見が生まれてくる理由もそこにある。だが、イギリスの例で分かる通り、首相に解散権が無いと政局が空転し、国民生活が悪化し、外交が滞るという事態が生じうる。それゆえ、憲法や法律を変えることで解散権を制約することには慎重であるべきだろう。なぜなら、世の中何が起きるか予測が付かず、解散が正当化される具体的な条件を事前に確定することはできないからだ。

 それゆえ、政治家には良識が求められ、報道や言論には解散は正当な理由がある場合にのみ許されることを市民に伝える責務がある。そのことをよく自覚してもらいたい。


(2019/10/27記)


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