☆ 正直に語ることはできないのか ☆

井出薫

 今に始まったことではないが、選挙になるとみな調子のよいことばかり言う。各候補者の主張がすべて実現可能なのであれば、税金も保険料もゼロで、多額の年金と充実した福祉を受けることができるだろう。

 しかし、ない袖は振れない。充実した福祉と社会保障を受けるためには、高い税金や社会保険料を払う必要がある。逆に高い税が嫌ならば、公的な福祉や社会保障は限られたものとなり、老後に備えて貯蓄するか自己負担で保険に加入する必要がある。大金持ちや大企業からたくさんの税や社会保険料を徴収すれば、一部の富める者を除いて、低負担と高福祉が両立すると言う者がいる。しかし、企業へ増税すると、株価を上げるために配当を増やしたい企業では、従業員の賃金や福利厚生の費用を抑制しようという意思が働くから、労働者の生活が悪くなる危険性がある。大企業への課税強化が資本の流出や景気後退に繋がる恐れもある。そうなれば、税率を上げたのに却って税収は減少したということになりかねない。また金持ちは高い税負担を嫌い税の安い場所を求めて海外に移住する可能性がある。巨額の利益を上げている企業や個人の課税を強化することは、富の偏在を是正し、公正な社会をつくるうえで有益な手立てで正義にも適うが、資本の移動が自由な現代世界においては、必ずしも福祉や社会保障を充実させるための良策とは言えない。さらに、格差が大きい社会では、金持ちへの課税強化が有益だとしても、公平な社会になれば、全員が負担しないとならなくなる。
(注)産油国などでは国が莫大な利益を上げる仕組みがあるから、国民は低負担で高福祉を享受することができるかもしれない。しかし、日本はそういう国ではない。

 要するに、少子高齢化が急速に進む今の日本では、国民に老後の心配が全くないだけの額の年金を支給するには、増税や社会保険料の負担増は避けられない。それが望ましくないと考えるのであれば、個人で資産形成に努めるしかない。高い福祉と低い税金はトレードオフの関係にある。選挙戦では、与党も野党も景気をよくすることで負担増を回避して福祉を充実させることができるかのごとく語るが、今の日本では中国のような高度成長は見込めず、そのように都合よくはいかない。また福祉や社会保障に係る業務の効率化による費用削減を提唱する者がいるが無理だろう。現状では介護士や保育士の賃金は安く、そのため職員の手配が容易ではなく離職率も高い。この状況を打破するには、その労働に見合った報酬を提供する必要があり、そのためには人件費を増やさなくてはならない。それゆえ費用削減は不可能だと言わなくてはならない。

 この現状をなぜ正直に語ることができないのか。確かに、他に選択肢が全くないわけではない。共産主義革命で富の共有化を実現する、中央銀行ではなく政府が自ら通貨を発行する、ベーシックインカムを導入するなどの代替策がある。だが、現在の日本と世界の情勢を考えると、いずれも現実的ではなく、人々の支持も得られない。事実、主要な政党でこれらの政策を提唱するものはない。負担増を受容し、福祉や社会保障の充実を求めるか、負担増を回避し、老後の資金やいざという時の保険は自らで手当てするかのいずれかを選択しなくてはならない。もちろん、これは二者択一だという訳ではない。極端な高福祉・高負担と極端な低福祉・低負担の間には様々なスペクトルがあり、その中で国民から広く支持される水準を探っていけばよい。だが、いずれにしろ、低い負担と高い福祉と社会保障は両立しないという事実を正直に語る必要がある。それをしないで、調子のよいことばかりを語っていると、やるべきことがいつも先送りされ、いつまで経っても改善がなされない。そして、最後にはにっちもさっちもいかなくなる。政治家よ、正直に語るべき時なのだ。


(R1/7/22記)


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